今月26日(金)は、取材のために福井県池田町に居た。
レンタカーのNHKラジオを聞いていたら、次のような内容のニュースが流れた。
アメリカ政府の公聴会(だったと思う?)のことだ。
「現在の日本の政権は統率力がなく信頼するに足らない政権となっている。このままでは、次の選挙で民主党に敗れるだろう。しかし、次の選挙で政権を担うことになるかも知れない民主党は、我が国との安全保障の考え方が異なり、テロ対策で避けて通れない自衛隊の海外派遣に反対だし、党内でも意見が割れている」
「このような不安定な政治状況を抱える日本と共に国際政治を考えるのは難しい。日本の政治状況が、落ち着きを取り戻すまでには、まだ相当の時間が必要だろう」というような、アメリカ政府の日本政治の状況分析が伝えられていた。
このニュースを運転をしながら聞いていて、アメリカは、このように今の日本を見ているのだと、とても驚いた。
もっと詳しい情報を知りたいと考えて、定時のNHKニュースの度に聞き耳を立てたが、それ以後、一度も、このニュースは流れない。民放では分からないが。
アメリカ政府が日本の政治状況をどう考えているのかは、現在の日米関係を考えると、かなり重要なニュースのはずだが、なぜ、こんな重要なニュースが、たった1回しか流れなかったのだろうか。
私は、政治的な圧力によって、このニュースは差し止められたとしか思えないのだが、調べる方法がない。
自民党にとっては、アメリカ政府が「日本の政府は信頼できない」と断じた内容は、かなりの痛手となるだろう。
民主党については、まるで国際政治が分かっていないというような内容だった。
他所の国から、そう見られている国に、私は住んでいる。
この分析が正しいかどうかの見方はあるが、何となく納得せざるを得ないのだ。
この度の、自民党選挙対策委員長古賀氏と東国原宮崎県知事との、衆議院選挙出馬に関するやりとりも、ただドタバタと派手なだけで、古賀氏にも東国原知事にも、国民へ向けられた意識の一端も感じることはできなかった。
日本をどのような国へ導いていきたいというような、政治家としての姿勢を感じることもなかった。
淋しい限りである。
それにしても、アメリカ政府の公聴会での日本政治分析は、新聞でもテレビでも、トップニュースで伝えられても可笑しくない内容だったはずだ。
2009年06月28日
2009年06月22日
下町の華 京成立石駅前
私のデジタル写真のメカ知識は、実は、協同組合日本写真家ユニオンの仲間、志賀直人さんからの教えによるものがほとんどだ。
一昨日、協同組合日本写真家ユニオンの第7回総会が開催されたので上京していた。
(この総会で、丹野章理事長が退任され、任期の残り1年間を引き継ぐため、私が理事長に就任しました。ここは、プライベイト・ブログなので、詳しくは書きませんが、皆さんお力添えを宜しくお願い致します。)
さて、その翌日(つまり昨日)、宮崎に帰る前の一時間ほどだが、私のデジタルメカの先生である志賀さんに誘われて、京成立石へ行った。
いい、いいのだ。人が生きている空間が見える。
京成立石駅の右側階段を下りると、目の前が踏み切りになっている。

もともと、私は、洗濯物が干してある風景と同じように、踏切があると避けて通れない。つい、ふらふらと、引き寄せられてしまう習性がある。
立石踏切でも、同じようにふらふらと、つい吸い寄せられてしまった。
いい、いいのだ。人の暮らしが見える踏切が、ここにある。
踏切の手前を見ると、愛知屋とテント地のひさしに書かれた肉屋がある。
この肉屋では、揚げたてのメンチカツやコロッケ、トンカツを店の左側のコーナーで売っている。「メンチカツ一つ」と頼む若者が居るかと思えば、「トンカツ2枚ちょうだい」と言っている年配の奥さんが居る。なんせ揚げたてなので、ちょっと待ち時間がある。

店の前に立って、肉屋のおカミさんが、熱々のメンチカツやトンカツを「へぎ」に包んでくれるのを待っている。
いい、いいのだ。人が、暮らしが、すぐ手に取るように見えるじゃないか。
これがいい。皆が地域の家族だと、思えるじゃないか。

みるみる、揚げ上がるのを待つ客が増えていく。
誰も急げなどと、無粋なことは言わない。
見れば分かるのだ。親父さんは一時も休まず、熱々を揚げ続けている。おカミさんは、熱々を包み続けている。
愛知屋の誠意が、揚げられ、包まれている。
愛知屋から数件目が、「立石仲見世」の入口になる。
昔ながらの商店街が、そのまま営まれている。仲見世入口の食料品店の店先。
パックになんかされていない。全てが計り売りだ。
いい、これがいい。

たまたま日曜日で、仲見世の店の大半は、休んでいた。
中ほどで年中無休で営業しているという「二毛作」と書いた赤提灯の下がるおでん屋で、生ビールを一杯頼んだ。
店の中は、8人で満席となりそうなこぢんまりさ。店の外の通路に小さなテーブルが2つ。夕方5時まえだったが、既に、店はほぼ満席。恐らく近くに住んでいる若者たちなのだろう。くったくない会話が続いている。後から来た客には、誰も何も言わずとも席を詰め合って座る場所を作ってやる。ちょっと覗いた客には知らない人でも、「ここが空いてるよ」と、手招きして誘い込む。店の壁には、お品書きの他に、内藤大助のポスターが何枚も貼ってある。聞くと、この近くに内藤大助の通うジムがあるのだそうだ。
カウンターで飲んでいた年の頃70歳前後かなと思われる男性に、「皆さんが応援しているのですか」と聞いたら、「あったりめえよ」と言うように、左手の親指を立てて片目をつぶり、静かに笑った。
いやー、粋だね。
赤い顔して、京成電車に乗って羽田へ向かった。電車の中では、居眠りしていた。
いひゃー、無粋ね。
一昨日、協同組合日本写真家ユニオンの第7回総会が開催されたので上京していた。
(この総会で、丹野章理事長が退任され、任期の残り1年間を引き継ぐため、私が理事長に就任しました。ここは、プライベイト・ブログなので、詳しくは書きませんが、皆さんお力添えを宜しくお願い致します。)
さて、その翌日(つまり昨日)、宮崎に帰る前の一時間ほどだが、私のデジタルメカの先生である志賀さんに誘われて、京成立石へ行った。
いい、いいのだ。人が生きている空間が見える。
京成立石駅の右側階段を下りると、目の前が踏み切りになっている。

もともと、私は、洗濯物が干してある風景と同じように、踏切があると避けて通れない。つい、ふらふらと、引き寄せられてしまう習性がある。
立石踏切でも、同じようにふらふらと、つい吸い寄せられてしまった。
いい、いいのだ。人の暮らしが見える踏切が、ここにある。
踏切の手前を見ると、愛知屋とテント地のひさしに書かれた肉屋がある。
この肉屋では、揚げたてのメンチカツやコロッケ、トンカツを店の左側のコーナーで売っている。「メンチカツ一つ」と頼む若者が居るかと思えば、「トンカツ2枚ちょうだい」と言っている年配の奥さんが居る。なんせ揚げたてなので、ちょっと待ち時間がある。

店の前に立って、肉屋のおカミさんが、熱々のメンチカツやトンカツを「へぎ」に包んでくれるのを待っている。
いい、いいのだ。人が、暮らしが、すぐ手に取るように見えるじゃないか。
これがいい。皆が地域の家族だと、思えるじゃないか。
みるみる、揚げ上がるのを待つ客が増えていく。
誰も急げなどと、無粋なことは言わない。
見れば分かるのだ。親父さんは一時も休まず、熱々を揚げ続けている。おカミさんは、熱々を包み続けている。
愛知屋の誠意が、揚げられ、包まれている。
愛知屋から数件目が、「立石仲見世」の入口になる。
昔ながらの商店街が、そのまま営まれている。仲見世入口の食料品店の店先。
パックになんかされていない。全てが計り売りだ。
いい、これがいい。

たまたま日曜日で、仲見世の店の大半は、休んでいた。
中ほどで年中無休で営業しているという「二毛作」と書いた赤提灯の下がるおでん屋で、生ビールを一杯頼んだ。
店の中は、8人で満席となりそうなこぢんまりさ。店の外の通路に小さなテーブルが2つ。夕方5時まえだったが、既に、店はほぼ満席。恐らく近くに住んでいる若者たちなのだろう。くったくない会話が続いている。後から来た客には、誰も何も言わずとも席を詰め合って座る場所を作ってやる。ちょっと覗いた客には知らない人でも、「ここが空いてるよ」と、手招きして誘い込む。店の壁には、お品書きの他に、内藤大助のポスターが何枚も貼ってある。聞くと、この近くに内藤大助の通うジムがあるのだそうだ。
カウンターで飲んでいた年の頃70歳前後かなと思われる男性に、「皆さんが応援しているのですか」と聞いたら、「あったりめえよ」と言うように、左手の親指を立てて片目をつぶり、静かに笑った。
いやー、粋だね。
赤い顔して、京成電車に乗って羽田へ向かった。電車の中では、居眠りしていた。
いひゃー、無粋ね。
2009年06月18日
夏休みの匂いとMILKとテレビ
まだ、怒濤の釜山マッサージの影響が残っていて、体が少々だるい。
朝刊をゆっくり読んで、9時過ぎに自宅を出て、事務所へ歩いて向かった。
県庁前を通りかかった時、楠並木の東側が白く煙っているのに気付いた。
「ん、霧か?」と一瞬思ったが、すぐに、にわか雨が、東から迫ってきているのだと、理解した。見ると、県庁前に居た数人の観光客や警備のガードマンが、楠やガジュマルの木陰に走り込んでいる。
数秒後には、大粒の雨が、バシャバシャと降ってきた。私は、アパートを出る時、北の空の雲行きを見て傘を持っていたので、そのまま傘をさして歩いた。
県庁角の信号を渡ろうとした時、ツンと、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
熱されたアスファルト道路に降った雨の匂いだ。少年だった頃、夏休みに何度も体験した不安と優しさの入り交じった不思議な感情を喚起する匂いだ。
この夏休みの匂いは、道路が濡れきってしまえば、もう無くなってしまう。
一瞬の夏休みだ。
私は、靴もズボンもずぶ濡れになって歩いた。
昨夜、宮崎キネマ館で、MILKを観た。
何の予備知識も無しに、MILKを観た。
カミさんに誘われていたので、コメディか何かだと思っていた。
冒頭のシーン。
地下鉄の出入口ですれ違いざまMILKが、行きずりの男に声を掛ける。
「今日、僕の誕生日なんだけど、ひとりにさせておかないでくれ。な、僕をひとりにさせるのかい?」
「そうかい、でも、悪いな。俺は40歳を越えた男に興味は無いんだ」
「それは、ちょうど良かった。僕は、あと数時間は40歳の前なんだ」と、MILKが腕時計を見る。そして、キスを求めるように顔を近づけると、男も、それに応じた。
その冒頭のシーンを観ている時、自分の感情に戸惑った。そのキスシーンを好意的に見ていない自分に気付いたからだ。理性的に言えば、ゲイに対する差別の意識はない、と思っている。なのに、この苦い感情はなに。
MILKを観ているうちに、その苦い感情が薄らいでいったのは確かだ。
しかし、それは、映画の中の世界として観ていたからなのかも知れない。
私にも分からない、この苦さ。
映画を見終わった時、私の友人「Y」を思い出した。
古い友人だ。度々会うような友人ではなかったが、たまに出会って、話した。
詳しくは、ここでは書かない。
数年前、Yと、福岡市天神にある神社脇の路上で、ばったり会った。
「あれ、久し振り! 元気してた? 今、仕事は何してるの?」
「今? バイト」「そう、前から家は、福岡だったっけ?」
「いや、2年くらい前から・・・」
「今日は今から用があるけど、ゆっくり会おうよ」
「そうだね。また連絡するよ」
「じゃあね」
それだけ言って、お互いに背を向けて歩き始めた時、Yが呼び止めた。
「あのね、・・・・・、俺、ゲイなんだ」
「そう」
私は、どう答えて良いのか分からなかった。どんな表情をしたのかも分からない。
特別な感情は、湧かなかった。「そう」としか答えようのない淡々とした気持ちだった。今、思い返しても、そう思う。そして、それが何故なのかも分からない。
それ以後、一度も、Yと会う機会はない。
MILKを観て自宅に帰り、遅い夕食を食べていた。
テレビのニュースで、「足利事件」で17年間服役していた後、釈放された管家さんに、栃木県警本部長が直接謝罪したと、伝えている。管家さんは、おそらく私と同い年だ。
管家さんの本来あったであろう17年間を思い描いた。
管家さんは、「本部長の誠実さが伝わった。許しても良いと思えた」と、言っている。
私は、「許すな、絶対に許せないと言い続けてほしい」と、心の中で叫んでいた。
しかし、管家さんは、許さざるを得ないのだ。
私の心は、悶々としていた。「許すな」と、叫び続けていた。
と、その時。
ニュースキャスターは、「次は、スポーツです」と言い、数歩、歩いてスポーツキャスターの隣に立った。ニュースキャスターの彼女の顔は、笑顔である。
「嘘だ」と、私は、心の中で叫んだ。
いや、実際に、持っていた箸を投げつけて、カミさんに向かって叫んでいた。
「ふざけんじゃねえぞ!」
もちろん、カミさんは何も悪くない。いい迷惑だ。
ニュースキャスターの彼女が悪い訳でもない。
テレビのその仕組みに、我慢がならなかったのだ。
どうしろ、こうしろ、と言っているのでもない。
ただ、我慢がならなかったのだ。
2009年06月15日
怒濤の釜山 後日談
どうも一昨日あたりから、体がだるい。
少々、熱っぽくもある。
昨日は、鼻水も出る。
それに、ふくらはぎと大腿部の筋肉、体の節々が、痛い。
熱があるのかも知れない。
先週の木曜と金曜は、取材で福岡へ行った。
少々、山へも登ったが、筋肉痛になるような山ではない。
一体、この体のだるさと筋肉痛は、何だ。
釜山で、「豚」が入ったのか。
しかし、思い返しても「豚」に罹っていたと思えるような人には出会っていない。
カミさんに聞くと、彼女も体がだるくてしかたないと、訴える。
いやーぁ、参ったな。こりゃ、「豚」かも知れない。
それにしても、カミさんに「豚」が入るのは納得できるが、
俺に「豚」が入るのは納得できない。入るならば「鳥」だろう。
そこで、昨日は日曜日ということもあって、早めに仕事を切り上げ自宅に帰り、床に着いた。
うつらうつらしながら、原因を考えた。
思い至った。
釜山のマッサージ効果が、今ごろ出てきたのだ。
歳をとると反応が遅くなるとは聞いていたが、ちょっと遅すぎ。
ちょうど一週間後だ。
釜山で、タイ式マッサージとトラディショナルマッサージの両方をしてもらった。
土曜日、盧武鉉前大統領の弔問に行く前の90分間でタイ式マッサージ、
日曜日、帰りの飛行機に乗る前の60分間にトラディショナルマッサージ。
タイ式マッサージは、動脈の血流を促進し関節をほぐすことで、毛細血管まで新鮮な血液を送り込み、体温を上げ、普段使わない関節までもほぐし、体全体が、ぽかぽかしてグニャグニャになった。痛かった。
始めにソフトとノーマルとハードがあるが、どのレベルを希望するかと問われたので、当然、ハードを希望した。確かにハードだった。最後の仕上げでは、上半身と下半身が逆向きになるのではないかと思えるほどに、体を捻らされた。
あまりの痛さに、笑いが出るほどだった。
翌日のトラディショナルマッサージも3段階あった。ここでも、当然、ハードを頼んだ。
受付の女性は、何度も念を押して「ハードで良いのか」と、聞き返した。
その度に私は、「オブコース・アイ・ホープ・ハード」と、答えた。
受付の女性は、本当に良いのかというような表情を浮かべ、首を傾げて「O.K」と受け付けてくれた。この時、一抹の不安が無かった訳ではないが、ここはもう後には退けない。
さて、薄暗い部屋に案内されると、ちょうど顔が当たる所に穴が空いているベッドが置いてあった。そこに眼と鼻を突っ込むようにうつぶせになる。上から大きなバスタオルのようなものを被せてくれた。ここから先は、メガネを外しているので(ましてや俯せなので)何も見えていない。
ほんのり温かいオイルが垂らされ、ふくらはぎのマッサージが始まった。筋肉の一本一本の繊維をばらすようにほぐしていく。肘で押しているのか、指なのか分からない。そして、いきなりである。う、う、う、とうめき声が出そうになる。痛い。激痛である。
しかし、隣のベッドでは、カミさんが同じマッサージを受けている。
「痛い」などと、泣き言を言う訳にはいかない。うめき声も立てられない。
ただ、歯を食いしばって、痛みに耐えた。そのうち、その痛さに腹が立ってきた。
ようやく右のふくらはぎが終わったら左。ふくらはぎが終わったら、大腿部の筋肉、背中、腕・・・。体中の筋肉という筋肉、筋という筋が、バラバラにされたような気分だった。
しかし、いつしか、「痛み」は「快感」に変わっていた。
このマッサージをやってくれているのは、確か(メガネを外すまでの一瞬だったが)かなりの美人の女性のはずだ。その(一瞬の)美人の顔を思い浮かべて、痛みに耐える。
そして、マッサージが終わると、余韻に浸る時間もなく。さっとシャワーを浴びて、タクシーに飛び乗り、空港へ急いだ。
いやはや、釜山は、奧が深い。
次は、「垢すり」だ。
どなたか「垢すり」の良い店を教えて下さい。
2009年06月13日
怒濤の釜山 写真一挙公開
ひょんなことから、急に韓国の釜山へ行くことになった。
我が敬愛する先輩写真家桑原史成さんの写真展が、釜山で開催されている。
6月5日にオープニングセレモニーがあるというので、賑やかしに行った。
だが、困ったことにカミさんが一緒に行くと言い出した。
いや、何も困らないが、費用が掛かる。そうです。断じて、何も困らない。
それに、彼女は、少々トロイところがある。いや、これも愛嬌といえば、言えなくもない。
ま、ここは深入りしないで先へ進むことにしよう。
何せ、怒濤の釜山である。一挙写真公開である。
今回のブログ写真は、釜山へ出発する直前に買ったリコーGR DIGITARL2 で撮影。
RAWデータで撮影したが、ブログに使ったのは同時に記録されるJPGデータ。
小さな写真も、クリックすると、別のウインドウで大きく表示されます。
「怒濤の釜山」始まり始まり!! 長いよ。
まず、福岡で、水俣の棄却取消裁判「溝口訴訟」の傍聴に行った。その日(6月4日)の夕方、贅沢に空路釜山へ。翌朝、カミさんは「こんな贅沢したことがない」と、ご満悦の朝食を、すました顔して食べている。
この日は、桑原さんの写真展「韓国」を企画したギャラリーのオーナーの計らいで、釜山観光に出かけた。私は、釜山が初めて。街の大きさと活気に圧倒された。

高層マンションが建ち並ぶ、釜山郊外。

観光の目玉は、世界遺産となっている仏教の寺「通度寺」。
韓国では、仏教が日常に息づいているのを実感した。次々と、祈りのために人々がやってきている。


この天井の本堂の床に跪(ひざまず)いて、人々は熱心に祈りを捧げていた。

通度寺のすぐ近くに、桑原さんが以前取材したことのある陶芸家が居るというので、お訪ねした。途絶えていた井戸茶碗を復元した窯元だそうだ。桑原さんが撮影した写真を父親のお墓のレリーフにしてあり、桑原さんも感激の様子だ。

おそらく7つか8つの袋がある登り窯。幅はないが長い。
ただ、現在は、あまり使っている様子ではなかった。
釜山の名所 チャガルチ魚市場。
この魚介類の豊富さを見よ!! 一体誰が、これを買いに来るのだろうか。

ここのチャガルチ市場で魚や貝を買うと、2階で料理して食べさせてくれるそうだ。
市場の外に出ると、そこは港。
桑原さん夫妻とBAKU斉藤さん。左は、ギャラリーの館長 Lee Jaeguさん。

再び、魚市場の中へ

あまりにも不躾に写真を撮っていたら、睨まれた。すみません。

新鮮なアサリを売っていた。右側のボールの中のアサリが汐を吹いているのが分かりますか。

市場の外を行く屋台の百貨店。高層ビル群と屋台の百貨店が混在しているところが、韓国のエネルギーを感じさせる。

魚市場の前の刺身専門店で、昼食の後、釜山タワー120メートルに上る。

桑原さんが、展望室から何やらを撮影している。突然、写真家の目になった。

釜山タワーを降りた広場に、海を睨む武将の銅像があった。ちらっと日韓の過去の歴史を思う。
泊まっていたホテルは、釜山のリゾート地域。ホテルのレストランを抜けると、きれいな砂浜が広がっていた。


いよいよ桑原史成写真展のオープニングセレモニーが始まる。
ギャラリーの前の通りには、街灯にKUWABARA SHISEI の懸垂幕が下がって、雰囲気を盛り上げている。

ギャラリーの前には、大きな表示パネルが掲示され、ギャラリーの意気込みが伝わってくる。

正装をして、日本からの応援団がギャラリーのオープニングセレモニーへ向かう。
オープニングセレモニーには、ソウルから尹さんと金升坤さんも来ていた。尹さんは、「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」の第1回目のゲストだ。金升坤さんには、その時に、韓国側のコーディネイトをしていただいた。
10年ぶりの再開に感激だ。

セレモニーが始まる前、日本から駆けつけた西村幹夫さん夫妻が写真展を鑑賞している。
セレモニーが始まる。韓国写真界の重鎮が、出席者に紹介されている。

一通りの挨拶と紹介が終わると、トランペットとピアノによる演奏。
桑原さんの挨拶が始まった。隣で、奥さんが緊張の面持ちである。

桑原さんの写真展が開催されている「古隠ギャラリー」は、2階がメインギャラリー、地下がサブギャラリー、1階が、ギャラリーにカフェが併設され、三層の展示スペースがある。
緊張感のある空間で、写真のためのギャラリーといった印象だ。
2階のメインギャラリー

地下のサブギャラリー


1階のカフェとギャラリー

韓国写真界の重鎮たちが、駆けつけたセレモニーは無事に終了した後、ギャラリーのオーナーKim HyungSooさんの招待で、韓国宮廷料理店へ行く。
宮廷料理屋を出たコンビニの前で一休みする桑原さん。

宮廷料理の後は、Kimさんのプライベイトワインバーへ。
写真に関心が深いKimさんが、韓国人写真家の写真集を皆に見せて、写真談義に花が咲く。もちろん、韓国の写真家たちも同席している。このような空間を共有できる写真仲間が居ることは、お互いの学びと励みになることだろう。


桑原さんが、自分の大きなポスターを掲げてご満悦。

翌日はギャラリーで、若い写真家たちへ桑原さんのレクチャーがあった。積極的な質問が飛び交い、釜山の若い写真家の熱意を感じた。

写真展オープニングの公式セレモニーは、全て終わった。
日本から出席した桑原さん夫妻を含む11人は、先日から世界の大きなニュースになっていた盧武鉉前韓国大統領が自殺した場所を訪ねた。
釜山の市街地からゴールデンブリッジを渡る。
目指す場所が近くなると、弔意を表す横断幕があちこちに掲げられていた。弔問に行った人々が歩いて帰ってきている。

画面左の岩肌が見えている崖から、彼は飛び降りた。多くの人々が、この小さな山を弔問のためにに上っていくのが画面右下に見える。

弔問の人々と一緒に、山へ登った。盧武鉉前大統領のシンボルカラーだった黄色いリボンには、弔文が書かれているらしい。山の裾野から登山道に沿って、ずっと黄色いリボンが下がっていた。

山頂近くで、左に分かれる小さな真新しい木橋があった。ここから先へは、通行止めになっている。この先が、あの岩の上に出る小径になっている。木橋の前には、飲料水のボトルが捧げられていた。

弔意をしたためたシンボルカラーの黄色いリボン。

E-MARTという大きなスーパーマーケットで買い物をするカミさん。

買い物の後、韓国マッサージをしてくれる店をスーパーの店員さんに聞いている。言葉は、相手はハングル語、こちらは日本語。そこに通りかかった日本語が分かる韓国の男性が助っ人に。2人が、手振り身振りで、韓国式マッサージをしてくれる場所を教えてくれている。
結局、できたばかりの超豪華デパート「新世界センタムシティー」にスパがあるので、そこへ行くのが一番だということに落ち着いた。
というような訳で、慌ただしかったけど盛り沢山の釜山旅行でした。
釜山は、エネルギーに溢れていた。人々は、明るく親切だった。
人々が、自信に満ちていると思った。
最後まで読んでいただき、感謝。
あーあ、疲れた。
読んでくれたあんたも疲れたやろ。
2009年06月02日
波打ち際に神秘の色 東温泉
薪能「俊寛」の取材で、鹿児島県三島村の硫黄島へ行った。
標高703メートルの硫黄岳は、現在も白煙を上げる火山の島。この島の波打ち際に、青緑色の硫黄ミョウバン泉を湛える東温泉がある。
ひょっこり誰かが入浴に来るかも知れないので、昼間に全裸の入浴は少々憚られるが、月夜の晩は、絶景の温泉となるだろう。
さて、肝心の薪能「俊寛」は、どうだったのか。
能役者は、今を時めく梅若玄祥。僧侶・俊寛が平家打倒の密議が露見し、流刑となった史実に基づく鬼界が島(現・硫黄島)での、薪能。
島の断崖絶壁を背景とした能舞台は、二度と島を出ることが叶わなかった俊寛の深い哀しみを演じる梅若玄祥を幻想の世界へと導き、現とは思えぬ一時を過ごさせていただいた。
しかし、ここで薪能の写真を掲載することはできないので、せめて温泉に浸かって幻想の一時を楽しんで下さい。

標高703メートルの硫黄岳は、現在も白煙を上げる火山の島。この島の波打ち際に、青緑色の硫黄ミョウバン泉を湛える東温泉がある。
ひょっこり誰かが入浴に来るかも知れないので、昼間に全裸の入浴は少々憚られるが、月夜の晩は、絶景の温泉となるだろう。
さて、肝心の薪能「俊寛」は、どうだったのか。
能役者は、今を時めく梅若玄祥。僧侶・俊寛が平家打倒の密議が露見し、流刑となった史実に基づく鬼界が島(現・硫黄島)での、薪能。
島の断崖絶壁を背景とした能舞台は、二度と島を出ることが叶わなかった俊寛の深い哀しみを演じる梅若玄祥を幻想の世界へと導き、現とは思えぬ一時を過ごさせていただいた。
しかし、ここで薪能の写真を掲載することはできないので、せめて温泉に浸かって幻想の一時を楽しんで下さい。

2009年05月22日
朝食と豚インフルエンザ
相変わらずのバナナオープンサンドの私の朝食だが、今朝は(厳密には20日は)ちょっと贅沢。マンゴーが少しだけバナナに乗っかっているのが、お分かりでしょうか。但し、今朝のは、例の太陽の卵とは違います。

この写真は、カミさんの携帯電話のカメラを借りて撮影。
いつも使っているリコーR5は、電池を充電していることを忘れて2日間ほどそのままにしていたら、電池が壊れてしまった。Iphoneで撮影すると、その後、写真をブログに掲載する方法が分からない。ITは、こまごまと難しい。
最近の豚インフルエンザの報道にはちょっと怖い印象を持っていた。過剰と思えるほどの対応で、修学旅行に行くために集まったその朝、教育委員会から中止を命令されるような事態は、異様に感じた。もちろん対策をとること事態は必要だろうが、今回の修学旅行のような場合は、各校の校長か生徒の父母の判断に任せても良かったように思えてならない。一律に全面禁止とするならば、もっと事前の対応が必要だ。
全国の薬屋や大手ドラッグストアーからマスクが全て消えてしまうようなことも、信じられない現象だ。一度何か事が起こると、一気に雪崩を打つように誰もが同じ反応をする社会に怖さを感じている。
豚インフルエンザの正体も良く分かっていないし、渡航歴のない高校生への感染経路も分かっていない。つまり、何も分かっていないのに、右往左往する様子は、情報一つでどちらにも雪崩を打つ社会を世界中に暴露しているようなことで、ある意味主体性のない国民性が笑いものになっていることだろう。
ようやく今朝の新聞やテレビで報道されるようになったが、報道のあり方や反応の過剰さに反省の声も出てきているようだ。
「正体見たり枯れ尾花」というようなことではないのだろうか。
いやいや、もちろん、感染された皆さんにお見舞いの気持ちはあるが、豚インフルエンザの今の状況を、ちょっと立ち止まって見つめていたい気持ちだ。
豚インフルエンザが、いつ、なぜ、新インフルエンザとなったのかも、私は知らないのだが。どなたか、その理由を知っていますか。
私の唯一の予防策は、マスクを掛けた人が側に来たら、こう尋ねることにしている。
「あなたは感染されているのですか、予防ですか」
現在までのところ、10人中10人が、憮然として「予防」と答えてくれている。
もちろん、「感染」と答えた人からは、すたこらさっさと遠ざかる。
こんなことをブログに書くと、不謹慎と怒る方もいるだろうな。非国民となじる方もいるだろうな。
この写真は、カミさんの携帯電話のカメラを借りて撮影。
いつも使っているリコーR5は、電池を充電していることを忘れて2日間ほどそのままにしていたら、電池が壊れてしまった。Iphoneで撮影すると、その後、写真をブログに掲載する方法が分からない。ITは、こまごまと難しい。
最近の豚インフルエンザの報道にはちょっと怖い印象を持っていた。過剰と思えるほどの対応で、修学旅行に行くために集まったその朝、教育委員会から中止を命令されるような事態は、異様に感じた。もちろん対策をとること事態は必要だろうが、今回の修学旅行のような場合は、各校の校長か生徒の父母の判断に任せても良かったように思えてならない。一律に全面禁止とするならば、もっと事前の対応が必要だ。
全国の薬屋や大手ドラッグストアーからマスクが全て消えてしまうようなことも、信じられない現象だ。一度何か事が起こると、一気に雪崩を打つように誰もが同じ反応をする社会に怖さを感じている。
豚インフルエンザの正体も良く分かっていないし、渡航歴のない高校生への感染経路も分かっていない。つまり、何も分かっていないのに、右往左往する様子は、情報一つでどちらにも雪崩を打つ社会を世界中に暴露しているようなことで、ある意味主体性のない国民性が笑いものになっていることだろう。
ようやく今朝の新聞やテレビで報道されるようになったが、報道のあり方や反応の過剰さに反省の声も出てきているようだ。
「正体見たり枯れ尾花」というようなことではないのだろうか。
いやいや、もちろん、感染された皆さんにお見舞いの気持ちはあるが、豚インフルエンザの今の状況を、ちょっと立ち止まって見つめていたい気持ちだ。
豚インフルエンザが、いつ、なぜ、新インフルエンザとなったのかも、私は知らないのだが。どなたか、その理由を知っていますか。
私の唯一の予防策は、マスクを掛けた人が側に来たら、こう尋ねることにしている。
「あなたは感染されているのですか、予防ですか」
現在までのところ、10人中10人が、憮然として「予防」と答えてくれている。
もちろん、「感染」と答えた人からは、すたこらさっさと遠ざかる。
こんなことをブログに書くと、不謹慎と怒る方もいるだろうな。非国民となじる方もいるだろうな。
2009年05月15日
iPhoneでブログ更新のテスト
リトルヘブンの取材で広島の山中に来ている。すでに一週間が過ぎた。
宿泊している民宿あるぺん屋は、料理は美味しいし、宿のご家族の感じが良いので、取材の疲れは半減する。しかし、インターネットに接続できない。
そこで本題のiPhoneでブログ更新ができるかどうかをテストします。
写真は、あるぺん屋で寝ていた布団
宿泊している民宿あるぺん屋は、料理は美味しいし、宿のご家族の感じが良いので、取材の疲れは半減する。しかし、インターネットに接続できない。
そこで本題のiPhoneでブログ更新ができるかどうかをテストします。
写真は、あるぺん屋で寝ていた布団
2009年05月09日
ホテルで洗濯・旅ガラス
たまたま取材が重なって、旅ガラスである。
秋田県横手市の山間部で山菜採りの名人を取材させていただき、昨夜とその前夜は、東京。今朝は、今から広島へ移動だ。
フイルムでの取材とデジタルの取材が連続したため、カメラだけでも4台。レンズは、共用もあるが、共用できないレンズもあり6本。それに三脚、カッパ、長靴、資料等、大型のサムソナイトに色々と詰め込んだ他に、カメラバックが2つとバックパックが一つ。
還暦を過ぎた人間の持つ荷物ではないと、思いませんか。
過酷な稼業です。
その上、ホテルでは、寝る前に洗濯が欠かせない。

昨夜は、日本写真家ユニオン理事長 丹野章さんの個展「丹野章の戦後」の内覧会とオープニングパーティがあった。品川駅近くのキヤノンギャラリーS で6月15日まで開催されている。戦後写真家を代表する丹野章氏の総集編とも言える写真展だ。
多くの方々に観てほしい。
リコーR5の電池を充電していて、そのまま事務所に忘れて来てしまった。
カメラはあるのに、電池がない。
それで、こまごまとした写真は掲載できません。
秋田県横手市の山間部で山菜採りの名人を取材させていただき、昨夜とその前夜は、東京。今朝は、今から広島へ移動だ。
フイルムでの取材とデジタルの取材が連続したため、カメラだけでも4台。レンズは、共用もあるが、共用できないレンズもあり6本。それに三脚、カッパ、長靴、資料等、大型のサムソナイトに色々と詰め込んだ他に、カメラバックが2つとバックパックが一つ。
還暦を過ぎた人間の持つ荷物ではないと、思いませんか。
過酷な稼業です。
その上、ホテルでは、寝る前に洗濯が欠かせない。

昨夜は、日本写真家ユニオン理事長 丹野章さんの個展「丹野章の戦後」の内覧会とオープニングパーティがあった。品川駅近くのキヤノンギャラリーS で6月15日まで開催されている。戦後写真家を代表する丹野章氏の総集編とも言える写真展だ。
多くの方々に観てほしい。
リコーR5の電池を充電していて、そのまま事務所に忘れて来てしまった。
カメラはあるのに、電池がない。
それで、こまごまとした写真は掲載できません。
2009年04月09日
遠野の町歩き
今日も岩手県遠野市に居る。
取材が早めに終わったので、遠野市の中心街を散策する。
一般的な地方の街と異なっている町並みに気付く。コンビニがない。好ましい街だ。
ひょっとしたら、コンビニがないことと関連があるかも知れないが、酒屋が多い。角を曲がると酒屋がある。不思議な街だ。よほど遠野の市民は酒好きと見える。床屋と美容室が多い。遠野の市民は、よほど髪型を気にするのか清潔好きなのか。
おそらく30年前も今と同じような町並みだったのだろう。何もかもを真っ新にしてしまうほとんどの地方の町と比べると、よほど好感の持てる街だ。
幾つかの買い物をした。店主が、ともかく感じが良い。もちろん私は一見の客だ。なのに馴染みの客のように丁寧に対応してくれる。遠野市は人口3万人ほどだと言うが、その規模の街の良さを秘めている。
日暮れ前、日枝神社という案内板を見つけたので訪ねてみた。もちろん、日枝神社が何かは知らない。途中、月が出てきた。ちょうど目の前に稲荷神社の祠があったので、一枚撮影。

日枝神社そのものは、何やら荒れた感じで殺伐としていたが、高台にあって、そこから見下ろす遠野の夕暮れの雰囲気は良かった。

拝殿から少し下ると、樹齢300年余りという桜の巨木があった。すでに日は落ちていたので木肌などの詳細は見えないが、老木の風情は伝わってきた。まだ、蕾さえも見えない状態だが、満開の時にはさぞ見応えがあるのだろう。案内板には、市民がこの一本の桜の廻りに集うのだそうだ。

明日の午前中まで取材して、夜には宮崎に帰り着きます。
やれやれ。
取材が早めに終わったので、遠野市の中心街を散策する。
一般的な地方の街と異なっている町並みに気付く。コンビニがない。好ましい街だ。
ひょっとしたら、コンビニがないことと関連があるかも知れないが、酒屋が多い。角を曲がると酒屋がある。不思議な街だ。よほど遠野の市民は酒好きと見える。床屋と美容室が多い。遠野の市民は、よほど髪型を気にするのか清潔好きなのか。
おそらく30年前も今と同じような町並みだったのだろう。何もかもを真っ新にしてしまうほとんどの地方の町と比べると、よほど好感の持てる街だ。
幾つかの買い物をした。店主が、ともかく感じが良い。もちろん私は一見の客だ。なのに馴染みの客のように丁寧に対応してくれる。遠野市は人口3万人ほどだと言うが、その規模の街の良さを秘めている。
日暮れ前、日枝神社という案内板を見つけたので訪ねてみた。もちろん、日枝神社が何かは知らない。途中、月が出てきた。ちょうど目の前に稲荷神社の祠があったので、一枚撮影。

日枝神社そのものは、何やら荒れた感じで殺伐としていたが、高台にあって、そこから見下ろす遠野の夕暮れの雰囲気は良かった。

拝殿から少し下ると、樹齢300年余りという桜の巨木があった。すでに日は落ちていたので木肌などの詳細は見えないが、老木の風情は伝わってきた。まだ、蕾さえも見えない状態だが、満開の時にはさぞ見応えがあるのだろう。案内板には、市民がこの一本の桜の廻りに集うのだそうだ。

明日の午前中まで取材して、夜には宮崎に帰り着きます。
やれやれ。

