Ayaさんの料理は、素材にこだわり、調味料にこだわり、火加減にこだわり、いつも出来立てを出してくれる。
スペインのスパーリングワインを少々、イタリアの白ワインを少々いただきながら。
イタリア人の家族中心人生観による利己主義が、いかにイタリアで生活することの困難を助長しているか、場合によっては、軽減しているか。
人の顔を覚えられないのは、相貌失認症というれっきとした病気であること。
一緒に夕食会に招かれていたご夫婦の夫人が急病で倒れられる前から、ご主人が夫人の異変に気付き(ここがすごい。普段から相手を思いやるように見ていなければ、そうはならない。しかし、それが本当に異変の前触れなのか、気のせいなのかが分からなかったために)、以前から夫人が計画していた小旅行に一緒に行くことにした。そこで、予感が当たり、異変が現実になった際、わずか数分で病院のベッドで処置を受けることができたという、ご夫婦、愛の物語。
医者は、よく「ご家族の側に立って」と言うが、医者が身内に困難を抱えた時、初めて家族の側に立つという言葉が何を意味するのかを理解するという話。
奧の深い人生と哲学の話を肴に、こんなに食べられるのかと思っていた料理が皿から消えていた。幸せの時間だ。

前菜。手前下がオリーブとケッパーのパテ プチトマトにバジルとオリーブオイル和え、奧はピスタチオクリーム。これを、皮の硬いフランスパンの上に載せていただく。

ジャガイモとタコにワインがすすむのだ。

ほどよい頃にセロリとブロッコリーのパスタが出てきた。チーズがトロリと掛けてある。魚介類のパスタにはトマトソース。

さて、最後に控えしは、真鯛と金目鯛のオリーブオイルソテー(?だったかな)。食材の味を活かした薄味だ。ギリギリのところで火が通っている火加減。唸る。
このように美味なるものを秘めたるイタリアとAyaさんの料理センスは、書物などという文化を超えている。生物に染み込んだ何者にも侵されない深層の文化を感じるのだ。
やっぱAyaさん、もうちょっと深くイタリアに触れてみたくなりました。
帰り際、上着のポケットに入れて持ち帰らせてもらった(強引に持ち帰った?)トスカーナ地方のオリーブオイルが、毎朝の食事の時にグンとイタリアへ引き寄せてくれています。
そう、あの、喉の奥にほんのりと残る渋みというか苦みが、何ともトスカーナなのだ。緩やかな起伏のある丘を、ハンチングを被って猟銃を肩にして歩く野性味溢れる男たちの姿を、思い起こさせてくれるのです。


おかげで帰国前の楽しい一時を過ごせました。
奥様にも宜しくお伝えくださいませ。
次こそは、是非本場イタリアで、イタリア野菜を食べながらだらだらとワイン片手にお食事できる日が来るのを祈っております。
いつも帰って来る度に自分のメンタリティが日本とずれてきていることを思い知らされるのですが、(逆に外部的要因が少ないとも言いますが。。。)ちょっとイタリアを離れることで、普段嫌気が差しているようなことさえなんとなく懐かしく思えてしまうこの怪しい国の不思議な魅力を現地で感じて欲しいなと思います。
村上春樹が丁度30代後半から40になる時期にかけてヨーロッパ(主にギリシャとイタリア)で3年間過ごした時に書いた紀行文、「遠い太鼓」という本があるのですが、是非機会があれば読んでいただきたいと思います。80年代後半の時期で今とは若干違う部分こそはありますが、ちょっとイタリアを垣間見ることが出来るのには間違いないはずです。
私をイタリアに導いた本の1冊でもありますが、今回実家から持ち帰り、機内で再度読みましたが、年齢も丁度春樹さんが書いた時期と同じ時期に差し掛かり、以前日本で読んだ時とはまた違うものを感じたり、自分が日本に帰る時に感じる印象などが彼の記述といろいろと重なる部分も多く、また別の視点から楽しく読めました。
トスカーナのオリーブオイル、しばらくは食卓のお供をしてくれそうですね。喜んで食べてもらえるのが食べ物を作るものにとっても一番幸せなことだと思うのです。
こういうささやかな贅沢でささやかな幸せを噛み締めてくださいませ。
さっそくのコメントをありがとうございます。
今日、「遠い太鼓」の文庫本を買ってきました。
出だしを読むと、以前、読んだことがありそうなのですが、もうほとんど忘れていますので(そのことに気付けば、私の記憶障害は、相貌失認症ではなく、単なるボケなのかな)、もう一度、イタリアを意識しながら読んでみます。
トスカーナのオリーブオイルを長く大切に楽しみたいと願っているのですが、どうも消費ペースが早いようです。カミさんが競って、オリーブオイルにこだわり始めました。
イタリアの食文化は、人々(二人だけですが)を魅了して、我が家の納豆に基礎を置いた食文化の歴史に変化を与えようとしています。
Ayaさん、ありがとうございました。