2007年06月17日

アパートの子ども

 日曜日の朝、事務所に出勤しようと駐輪場の脇を通りかかったら、同じ公団アパートの小学生がシートを敷いて、お絵かきをして遊んでいた。シートの前には、愛着のある玩具が無造作に置いてある。「いいな!」と思った。

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 さて、問題はここからである。
 「写真を撮らせてね」と、カメラを取り出したら、「いやだ!」と、言下に言う。
 まったく予想しない反応だったので、少々驚いた。
 「なぜ、いやなの?」と聞いたが、それには答えず「何に載るの?」と、聞いた。
 「おいちゃんのブログ」「ブログに載るのがいやだ」
 ここで、1枚シャッターを押した。(上の写真)
 「なんでブログに載るのがいやなの」「いやだ」
 ここまで会話して「ありがとう」と、その場を去った。

 この写真を載せるかどうか、迷いながら事務所まで歩いた。
 この写真を載せようと載せまいと、私には何ら関係ない。 
 当初は、近所の子供たちが集まって、お絵かきをする場面は「おままごと」の雰囲気を持っていて、「まだ、こんな子供たちが宮崎には居るのだ」と、小さな感動を伝えたかったのだが、そんな気分ではなくなっていた。
 ましてや、彼女たちにも何ら関係ない。
 しかし、私はこだわった。
 子どもたちの「載せるな」という意思は、尊重すべきだ。
 でも、私はここに掲載した。
 公の場で遊ぶ子どもたちの姿さえも撮影できない社会は、歓迎できる社会なのかと考えたからだ。ここに掲載したからといって、彼女たちに何らかのマイナスが生じるとは思えない。

 もちろん、彼女たちは、私が何者なのかを知る術はない。
 もし、地元紙宮崎日日新聞社のカメラマンが来て、「写真を撮らせて」と頼んだら、彼女たちの反応は異なったのだろうか。テレビ局のクルーが来て「撮影させて」と頼んだら、彼女たちの反応は異なったのだろうか。
 もし、このブログを読まれているあなたが、「それは当たり前だろう」と考えられたなら、そう考えられた根拠は何かを教えてほしい。

 私は、フリーランスで38年間、写真を仕事として撮ってきた。そのことと、今朝の私のこだわりが無関係だとは思わない。思わないが、そのこだわりは、私の職能としてのこだわりより、得体の知れないものを排除しようとすることが当たり前に感じられる社会への反発である。
 ある意味で、権威的な発想が背景にあると思う。

 そんな事まで言わなくても、
 ただ「知らないおいちゃんに付いて行ったらだめよ」と、親や先生から言われているのだから、と言うことなのかも知れない。数ヶ月前のニュースで変質的教師のブログに掲載された少女たちの写真が問題になったこともあった。
 
 分かった上で、尚、私は、今朝のこの写真の一件にこだわる。
 まず排除する世の中よりは、まず歓迎する世の中を良しとするからである。
 長くなってしまいました。
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posted by jin at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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