宮崎県内で今、最も意欲満々で創作する美術家は弥勒祐徳さんだろう。
9月中旬に、360回目の個展を終えたばかりだ。彼は、満88歳。米寿である。
この初夏、弥勒さんは、長い間看病をしてこられた奥さんを亡くされた。不義理、無情の私は、お悔やみにもお訪ねしないまま、初盆が過ぎてしまった。そんな私にも、いよいよ、世間に秋風が吹き始めて人恋しさが芽生えた。急に思い立って、西都市三納の弥勒さんのご自宅をお訪ねした。

ご自宅の裏庭に入ると、ヒョウタンか何かの蔓の棚の下に、作業机が置いてあり、イーゼルを立てたままだ。パレットには、絵の具が絞り出されている。今し方まで弥勒さんが仕事をされていた雰囲気だ。カギの掛かっていない窓辺に、桜島を描いたとおぼしき50号ほどの油彩が6点、立てかけてある。弥勒さんのアトリエは、このヒョウタンの棚の下なのだ。
せっかくだから少し待たせていただくことにして、庭の端に置いてあったソファーに座って居眠りをしていると、軽ワゴン車が止まった。白のワゴン車は、周辺が擦り傷だらけだ。直感的に、弥勒さんの車だと思った。「おろ、久しぶりですな」、弥勒さんは、屈託がない。こちらは、自分の気分で突然お訪ねしている側である。型どおりのお悔やみの挨拶を済ませて、失礼するつもりだった。腰を上げると、「時間がねえってすか。ちょっと待っちょかんですか。5分、5分でいいですが」。そう言うと弥勒さんは、急いで庭へ出て行った。もちろん、私に急ぐ理由はなかった。どこへ行かれるのか、後をついて行くと、裏の倉庫で版木を探している様子。
何枚かの版木を比べておられたが、その中の一枚を抜き出して、庭の水道でジャージャーと濡らすと、ヒョウタンの下の作業机に置いた。今から版画を刷ろうというのだ。チューブから墨汁をしぼり出し、ローラーで版木に墨を塗ると、積み上げてあった様々な紙の中から白そうな紙を一枚選び出して、いきなり、躊躇なく版木に載せた。そこで、辺りを見回した。どうもバレンを探しているようだ。家の壁にある棚からバレンを探し出すと、1、2回、パンパンとズボンで叩いてから、一気に刷り始めた。ここまで、弥勒さんの動きは止まることなく流れ、あれよあれよという間の出来事である。一言も言葉は発していない。私は、側に居て、オロオロと見ていた。版画を刷り始めた時ようやく声を掛けた。「写真を撮らせてもらっていいですか」。彼は、黙って頷いた。
グラグラと揺れる作業机の上で、ゴシゴシとバレンを滑らせていた弥勒さんが、突然一息ついて手を休め、間を置いた。それから、おもむろに紙の端をゆっくりめくって刷り具合を確かめる。刷り具合を確かめた後は、一気に紙を剥がす。刷り上がった版画を、横に置いて眺めていたが、ちょっと首をかしげた。再び、様々な紙を積み上げてある山から白そうな一枚を選び出して、いきなり版木の上に載せた。弥勒さんは、何ごとにも躊躇がないのである。ずり落ちそうになったズボンを左手で引っ張り上げると、またもや、グラグラを揺れる作業机の上でバレンを滑らせた後、紙の端をちょっと持ち上げて刷り具合を確かめた。どうやら、今後は良さそうだ。

弥勒さんが版木を探し出した時から、もちろん気付いてはいたが、版画を私のお土産に持たせようというのだ。刷り上がった版画の左肩に「観音菩薩像」とある。ご無沙汰ばかりで、自分の気分でお訪ねしたにも拘わらず、作品をお土産なんて恐縮すぎる。刷り上がった「観音菩薩像」を、「お土産に」と渡されると思っていたら、弥勒さんは落款を押し、署名まで入れてくれた。ところが、彼は、再び棚へ行き額を持ってきた。版画は、もちろんまだ乾いていない。弥勒さんは躊躇がないのだ。額の裏板を版画に当てると、躊躇なくカッターナイフで版画の端を切り落とした。私としては、「あ、あ、あ、ちょっと待って、版画が乾いてから寸法を合わせて額に入れるから」と言いたいところだが、弥勒さんは、いきなり版画を額に押し込んだ。少しはみ出した版画は、カッターナイフで無造作に切り落とされた。
表にひっくり返して、一瞬確認した弥勒さんは、きちんと額を箱に入れて無言で私に差し出してくれた。躊躇無く素早く仕事を進めるが、締めるところは締める。弥勒流の仕事術だ。
「時間があっですか。時間があれば、見ていかんですか」。弥勒さんの自宅の道路を挟んだ反対側は、弥勒美術館である。彼の個人美術館。その入口にテント地を被せた大きなものがある。その前にやぐらが組んである。弥勒さんは、やぐらに上ると、テントは外してくれた。
高さ4メートルほど、観音菩薩像だ。「これは何観音というのですか」と聞く。「百済観音よ」。「手本は宮崎にあっとですか」。「宮崎にはねえつよ、日本に1体か2体しかねえちゅう話じゃが、なかなか見せてくれんらしいな」。「そんなら、どんげして彫りよっとですか」。「写真よ写真」。

見事な百済観音菩薩だ。クスの木である。香りが良い。ほとんど完成に見えた。「いつ頃完成すっとですか」「まだまだよ。後ろに光輪を付けるかいな。だいぶ仏像も彫ったけど、いかんとよ」。「何がですか」。
「彫れば彫るほど、上手くなってよ。いかんとよ」。
弥勒祐徳の極意を聞いたと思った。


