「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」の次回(開催は、08年5月21日〜6月1日)の招待写真家Rio・Helmiさんに会うためだ。
Rio・Helmiさんは、Bali島在住の写真家。Baliとジャカルタとを月の半分ずつで仕事をしている。写真はとてもフォトジェニックで、光と影の使い方や画面構成は巧み。しかし、それ故に少々ドキュメントに求められるリアリティに欠ける面もあると感じた。
ともかくは、第9回「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」で、Rio・Helmiさんの写真の美しさを堪能していただきたい。ちなみに日本人写真家は、橋口譲二さん、代表作とも言える「視線」を出品していただくことになっている。
次回の「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」も期待に応えられる内容となること請け合いだ。
さて、今日は、Rio・Helmiさんとの交渉の後、2日間余BaliのUBUDで撮影したプライベイトな内容も含む写真を見ていただきたい。
Rio・HelmiさんのVillaの中庭 最初の夜は、この庭を望む客用の豪華な一室に泊めてもらった。泳いでいるのは、Rio・Helmiさん。
私が泊めてもらった客用Villaのトイレ 自然と一体になりながら快適さを維持する工夫が心地良かった。この手前は、浴室と洗面所で広さ10畳ほどの部屋になっている。
翌日宿泊したホテルのフロントから部屋へ行く途中のゲート。このホテルは元王宮だったと、案内のワヤンさんが教えてくれた。
宿泊したホテル PURI SARASWATI UBUD の朝食
Baliを訪ねた日からちょうどガルガン・エンクニガンという祭り。街のあちこちで祭りの飾りターミヤン・コーラムを見かけた。ホテルのプール入り口に吊してあったもの。
ついこの間まで日本でも正月に見かけたしめ縄のように、車やバイクにもターミヤン・コーラムを飾っている。
家の入口にも、祭りの飾りがある。この飾りの名前を聞くのを忘れてしまった。
露地には祭りの飾りが並んでいる。日本でいうしめ縄みたいな意味なのかも知れない。
昼食は、ご存じナシゴレン(焼き飯)だ。
街を車で走っている時、お寺の境内で偶然に葬式に出会った。案内のワヤンさんが、相当大きな葬式なので、お金持ちの方が亡くなったのだろうと言う。近くで遺体を焼く炎を見つめている3人の若者に「写真を撮らせてもらっても良いのだろうか」と聞くと、その中の一人が「あれは自分の父親。写真を撮るのは、どうぞ」と、言ってくれた。少々遠慮しながら、2枚ほど撮影。
境内のすぐ近くでは親戚や知人たちなのだろうか、沢山の花かごを持って来て祭壇に供えている。その前で、小さな椅子を形どった神輿のようなものがあって、ここに亡くなった人の霊が座るのだと言う。この神輿にも花を供える人々が次々とやってくる。
近くの別の大きな寺院プーラ・ダラム・テンプルで、祭りの祈りをする人々。指先に花びらを挟んでいる。ヒンドゥの祭りでは、花が重要な役割をしている。
祈りをする人々を清める司祭役の男。聖水を棒に浸し、滴を振りかけて清める。この後、聖水を手に受け、口に含み、頭に付ける。
祈りの順番を待つ人が持っていた祈りのための花かごブンガ・ソンバルヤン。花は、自宅の庭から摘んでくるそうだ。聖水を入れるビン、線香なども入っている。
祈りの最後で、司祭から米粒を貰い、額に付け、胸に付け、最後に食べる。正式には、3粒と決まっているそうだが、数については、あまり頓着している様子はなかった。
UBUDから車で小一時間走った山中にあるタンパクシーリング村のデルタンベール寺で、祈りの前に沐浴をする人々。湧き水を引いた大きなプールがあり、その中で人々がごちゃまぜになって沐浴していた。インドで見た沐浴の光景を思い出した。
UBUDの街の露地を少し入り込むと、このような田園風景が広がっていた。小さな棚田が重なり水路がうねって続く風景は、懐かしい日本の風景だ。UBUDは、街と田舎が背中合わせだ。
棚田から街へ続く小径を歩いていると、人々の歓声が聞こえてきた。その声の方へ行くと、寺の境内で青年たちがバレーボールに興じていた。近くには、まだ仲間に入れてもらえない小さな男の子たちが遊んでいる。ここには、地域共同体が色濃くある。
たった3泊4日のBaliは、自然の豊かさと神々の存在、人々の大らかさを知る良い旅だった。最近、日本が失った大切なものとは、こんな何げないものなのかも知れない。