2011年10月07日

アボカド君の生い立ち(4)


 (少し間が空いてしまいましたが、9月10日からの続き)

 それからの2年間は、アボガド君も波乱の少ない穏やかな時間を過ごしたことと思う。彼のけなげさに感動したカミさんは、水やりを怠らなかったし、生ゴミなどを肥料にするコンポストを彼の近くに設置するなど、何かと面倒を見るようになったからだ。

 愛情を掛け、面倒を見るようになると、彼の成長は早かった。雑多な植物がひしめく我が家の庭で、めきめきと頭角を現し、すぐに身長1メートルほどになった。そうなると、可愛がる方も、ますます熱が入るというものだ。もちろん、水を与え、栄養を付けさせ、成長を助けてやれば、いずれ彼の子孫を実らせることだろうというカミさんの下心があったことは否めないが、そんな下心を知ってか知らずか、有り難いことにアボガド君は、すくすくと育ってくれた。

 安泰の時期というものは、そう長くは続かない。いつしか、カミさんはアボガド君の親である自覚も芽生え、一所懸命彼の世話をしていたが、我が家に急変が起こってしまったのだ。私の悪いところでもあるのだが、安泰を好まない性癖がある。何不自由ない暮らしが続くと思うと、その殻を壊して、新天地へ飛び出していきたくなる衝動に駆られてしまう。この時もそうだった。フリーの写真家が庭付き4LDKのアパートに安穏と暮らしていて良いのかと、疑問が頭をもたげてしまうと、もう後には戻れない。矢も楯もたまらず、市街地の繁華街近くに小さなアパートを探した。しかし、小さなアパートでは、これまで撮影してきたフイルムの保管はできないし、対外的な事務所機能が果たせなくなる。ここは一つ、事務所を独立して開設するしかない。同じ事務所を開設するなら市街地の真ん中にしようと考えた。

 ここを深入りすると話が横道に逸れてしまいそうなので、アボガド君の話に戻ろう。

(アボガド君の生い立ちは、続きます)



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2011年09月25日

水俣から帰りました。


 計画をして約3年、水俣の取材をようやく始めた。
 今回は、わずか3日間だったが、挨拶回りで終わった。
 秋晴れの清々しい空の下に広がる不知火海。
 改めて、水俣の風土が持つ豊かさを見直した。
 なんでもない風景が美しい。

写真は、水俣病の患者さんが多発した茂道漁港の入り江付近。
向こうに見えるのは、天草諸島。
hp 水俣 1 .jpg


 新しい水俣の取材は、いつまで続くのか……。



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2011年09月18日

駆け足の上海 写真一挙29枚掲載


 わずか2泊3日だったが、私が所属している日本写真家ユニオンの事業拡張のために、上海を訪ねた。
 早朝と仕事を終えてから日暮れまで、上海の街を歩いた。新旧のコントラストがはっきりした街で、人々のエネルギーに溢れていた。生活は以前のまま、近代化される地域は急速に都市化されている。勤め人の平均的月給は、日本円に換算すると4、5万円らしいが、上海の街を蛇行して流れる黃浦江の岸辺に新しく建築されたマンションは1平方メートル200万円もするという。このアンバランスをいつまで保つことができるのか。中国は、すでにバブル経済に突入しているように思えた。

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空港から市街地へ向かう高速道路。タクシーの運転手が、助手席にいる通訳をしてくれた何(か)さんへ何やら大声で話しかけている。後で、何を話していたのかを聞くと、昔の暮らしが良かったというようなことだった。すでに、人々は、経済格差の矛盾を肌で感じているのだ。

hp上海 18 .jpg
街中をタクシーの窓から。
手前の古い住宅は壊され、後方に新しい公営住宅らしき建物が建築中だ。

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早朝、中心市街地を歩くと、新旧の建物が混在する。

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黃浦江の対岸は、新しく開発された商業地区。

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黃浦江の堤防は、公園として整備され上海市民の憩いの場となっている。
独り剣舞の稽古に勤しむ男性。

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太極拳や中国的健康舞踊などのグループがあちこちで練習している。
後方の金融機関の建物には中国国旗・五星紅旗が翻っていた。

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黃浦江の岸辺で、散歩の休憩をする二人。

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たこ揚げが盛んに行われていた。

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散歩の途中の男性が、たこを揚げている男に話しかける。
たこを揚げている男は、自慢そうだ。

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金融機関が並ぶ高級ビルの一角に、外国資本のファッションメーカーが入っている。

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金融機関のビルが、黃浦江の岸辺の一等地に建ち並ぶ。

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一つ角を曲がると、古い上海の匂いがする。

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夜勤明けの守衛さんが、道路でうとうとしていた。
そっと近づくと、気付いて振り向いた。

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孫を乳母車に乗せて散歩している男性に出会った。
生活圏がすぐ近くにあるのだ。

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さらに裏道を進むと、路地の入口が現れる。
表通りから一歩入ると、生活の場で、歯磨きしている男性と目が合った。

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中国では、朝食は買って食べるようだ。
近所の主婦らしき女性が、朝食のお粥やご飯やパンを売っている店に集まっている。

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生活が建物の外側にまで染みだしたような古いアパート。
居心地が良さそうだが、いずれ取り壊されるのだろう。

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近くの路地では、洗濯屋がアイロン掛けに勤しんでいた。
彼女の後で、夫らしい男性が横になっている。

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昔から、このように家壁いっぱいに品物を吊して商売をしていたのだろう。
パンツなどの洗濯物は、売り物ではないのだろうが……。

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何やら騒々しいので、近づいてみると、路上で店を出していたらしいテーブルやイスを数人の警察官が押収していた。どうも違法の店を出していたようだ。抗議する男性を警察官が高飛車に怒鳴りつけていた。

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みるみる近所の野次馬が集まってきた。上半身裸の男が普通に居るのは上海らしい。

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昔ながらのリヤカーで雑貨を売る行商人。

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路地を曲がると市場だった。午前8時ごろだが、買い物客で賑わっている。

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朝食用に目の前で包んで蒸している餃子。形がきれいなのでアップで撮影。

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八百屋の店先。どの品物も新鮮だ。食の国の面目躍如。

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魚屋の店先。生きているカニが逃げ出さないように店の人が押さえている。

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八百屋の店先で。中国では、買い物をするのに男女の差は無さそうだ。

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果物と花と猫。中国人は、百合の花が好きだ。
百合という字が縁起が良いのだそうだ。

hp上海 38 .jpg
市場には露天の骨董品屋もあった。さすがにここは男性ばかり。毛沢東人気は健在だ。

 駆け足の上海。古い中国と新しい中国が交差する街で見たのは、経済発展に期待する顔と置いて行かれる不安の顔。しかし、日常は、何事もないような顔をして古い生活習慣が続けられている。黃浦江堤防公園で体操をする年寄りや朝の買い物をする年寄りが、元気そうで活き活きしていたのは嬉しい。今回、上海で出会った人々は、皆、明るく活力がありフレンドリーに思えた。良い旅だった。


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2011年09月10日

アボガドの生い立ち(3)


 (前回からの続き)
 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。

 宮崎市内の古い町並みが残る城ヶ崎のアパートに住んでいた時である。城ヶ崎のアパートには、狭いながらも庭があった。わずか2坪ほどの庭には、様々な植物が植えられていた。中でも目立ったのはビワである。このビワは、カミさんが実を食べた後で「植えてみよう」と、気軽に庭の南の端に植えた(捨てた)種から芽が出たもので、高さはすでに3メートルを超え、夏には小ぶりだけれど実を付けるようになっていた。この他に、子どもたちが小学校に上がる前まで、5年間家族で暮らした伊豆大島を出る時、島の友人からいただいたヤブ椿の木。他に、小さいけれど深紅の花を付けるバラ。たまには、煉瓦で縁取りをしてパンジーやチューリップなどを植え、花壇のまね事のような庭になったこともあった。足下に、アシタバやツワブキなどのように、食べられる植物が蔓延っていたのは、カミさんの趣味だ。

 アボガド君は、そんな雑多な木や花が植えられた無計画の庭の片隅に、種だけが植えられた。ビワの時と同じように、種の周りの果肉は、私の朝食として食べられてしまい、丸裸になった種だけが、あまり肥沃とは言えない庭の片隅の小さな穴に埋められたのだ。それからどれほどの月日が流れただろうか。家族の誰もが、アボガド君の存在を忘れてしまっていた時、ある朝、庭で水やりをしていたカミさんが素っ頓狂な声を上げた。「ね、ね、この新芽は何だろうね」。地表からわずか10センチほどの細い茎の先から、左右に広がる若葉色の小さな双葉は、表面に薄い産毛を生やし、やや細長い。思い付くのは、アボガド君。

 彼のけなげさに、家族の誰もが感動したのは言うまでもない。丸裸同然で放り出されるように庭に埋め込まれたアボガド君。何の援助を求めることなく、たった独りで努力に努力を重ね、人生の芽を出した。もちろん、私は、アボガド君のご両親の出身地を知らない。南米なのか、アフリカなのか、東南アジアなのか。仲間と一緒に船に揺られて、車に乗せられ、スーパーの店頭に並べられ、我が家にやって来た。その間、幾多の人の手に触れられながら、よくぞ我が家まで辿り着いてくれたものだ。そして、たった独りで、新しい人生の芽を出した。



 (アボガド君の物語は、さらに続きます)



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2011年09月07日

アボガドの生い立ち(2)


 我が家の(と言っても、現在アボガド君の住んでいる事務所のことですが)天井は、床から3メートル12センチ。決して低くはない天井だが、我が家のアボガドは、身長190センチ。床から植木鉢の地表までが、39センチ。したがって、彼の頭の頂上から天井までの距離は83センチとなっている。ぐんぐんと上へ伸びている時には、幹から直に葉っぱが出ていたのだが、彼の一番上の新芽から天井までの間隔が1メートルを切ったあたりから、上に伸びる勢いが弱まり、細い枝が横に伸び始めた。現在、6本の枝が伸びていて、それはそれなりにバランスを保っているのだが、地表から数えて3番目の枝、高さにして118センチの所から出ている枝が、少々横に伸びすぎている。

 この枝は、幹から北西の方向に55センチ伸びて、先端が少し上へ曲がって伸びている。この枝に付いている葉は、全部で18枚。もちろん大小の葉が入り混じっての話だ。一番大きな葉は、幅14センチ、長さ35センチもあるため、重量がそれなりにある。したがって、幹の直径がわずか16ミリしかないので、この枝の重さに耐えられず、体全体が枝の重量でしんなりと傾いてしまうのだ。

 私に、アボガドの自由を拘束するつもりは毛頭ないけれど、傾いて苦しそうにしている彼を見るに見かねて、枝の反対側から紐で補強をしてやっているというのが実情です。植物愛護協会の皆さまには、なかなかご理解をいただけないかも知れませんが、偽りのない現実です。その証拠と言えば、言い訳がましいのですが、彼を最初に紐で繋いだ時には、先にも書きましたけれど、北側にある本棚の4段目にピンで繋いでいました。しかし、これでは彼は、自由に体の向きを変えることができないことに気付き、急遽、彼自身が身を寄せている植木鉢の縁と繋ぐことで、何とか自由を確保してやることができている訳です。

 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。


 (後日に続く)



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2011年09月06日

アボガドの生い立ち(1)


 我が家のアボガドは紐に繋がれている。自由を拘束されて、少々可哀想な気がしないでもないが、この紐は本人のためなので、ここは辛くても甘えさせてはならない。それが本当の愛情というものだろう。

 彼とは、相当長い付き合いになる。彼と決めつけて良いのかどうか、迷うが、我が家のアボガドに女の性を感じたことはないので、彼と呼ぶことにする。名前は、まだ無い。女の性を感じたことがない分だけ、普段は無視していても、気やすく付き合えるというものだ。

 彼は、相当長身である。直径43センチの植木鉢に居を構えているが、その地表から幹の先まで190センチ。地表から10センチの所の幹の直径は、16ミリ。一見すると、彼の生き方は孤高のように見える。しかし、彼には彼の友だちが居る。直径43センチの地表には、フキの葉が大小合わせて5本、クローバーが6本、それに柊(ヒイラギ)の葉のような周辺にギザギザのある小さな樹が2本。この柊のような樹は、根元から二股に分かれているので、小さいながらも葉が茂って存在感がある。ちょっと見でも、これだけの仲間に囲まれて日々の暮らしがある。この他に、友人たちが居るであろうことは想像できるが、私は紹介することができない。

 地表は、よく耕されていて酸素の通りは良さそうだ。適度に乾いていて、居住空間としては、まずまずと見受けられる。

 さて、彼の宇宙とも言うべき直径43センチの植木鉢の縁にクリップが止めてあり、そこからビニールの紐が伸び、地表から約90センチの幹にしっかりと結ばれている。この紐が、彼の自由を奪っている紐なのだ。しばらく前まで、この紐は、1メートルほど離れた本棚の4段目にピンで止められていたのだが、窓から差し込む太陽との関係で、少しでも彼の向きが自由な植木鉢の縁に近ごろ変更になった。では、なぜ、彼の自由を奪うようなことをしなければならないのか、と不思議に思われる方がおられるだろうから、少し説明を加えたい。


(後日に続く)



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2011年08月29日

サボテンの花 2


 今朝、念のためにと思って、ガンセキチュウサボテンの花を確認するために、県庁前へ行った。
 花は、すでに3個を残すだけだった。

 県庁前が、いつもと異なる雰囲気。テレビのクルーがいくつか。若い女性たちが数人ずつたむろしている。警備員に尋ねると、「前の知事が来ているんですよ」。
 テレビ局はまだしも、若い女性たちが、どのようにして、そんな情報を得るのか、不思議だ。


 今夜7時から、宮崎市のJA AZMホールで、広瀬隆さんの講演会があります。
 「いったい何が起き、何がおころうとしていいるのか!!」 入場料1000円
 主催:宮崎の自然と未来を守る会 電話 090-4346-2923

 原発の危険性を訴え続け、「東京に原発を」の著書で知られる広瀬隆さんの話は、若干センセーショナルなところはありますが、語られる内容は、事実に基づいて説得力があります。「原発の何が、危険なのか」。今こそ、イメージではなく、積み重ねられた情報を得て、自らが考える手がかりにしてほしいと思います。

 私は、会場で、8月15日に新刊発売されたばかりの 樋口健二写真集「原発崩壊」2800円(税別)を販売しています。
 1973年から2011年の原発崩壊まで、取材し続けた原発労働者の実態を伝えます。



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2011年08月28日

サボテンの花


 毎朝、県庁前の楠並木を歩いて事務所へ通勤する。
 先日、何気なく県庁入り口の植え込みを見ると、ガンセキチュウサボテンに赤い点々が見える。何だろうと、近寄ってみると、花だ。
 無骨なガンセキチュウサボテンにピンクっぽいオレンジ色に包まれた白い芯。
 柔らかそうな花。
 大げさだが、little感激!
 最近は、カメラを持ち歩いていないので、この時も携帯電話のカメラで撮影。

サボテンの花 1 .jpg

 まだ、数日間は咲いていると思います。どうぞ、見に行ってやって下さい。





 最近、真面目と誠実について、考え悩んでいる。
 「座右の銘は」と聞かれたら、「誠実」と答えるだろう。しかし、真面目に生きようと思っている訳ではない。ただ、誠実であろうと思っているだけ。最近、再び、気になり始めたのだが、真面目が世の中の前面に出すぎていないか。私のようなヤクザ稼業だと、息苦しいと思うことが度々ある。ここで「ヤクザ稼業」と書いたことに、すでに違和感を持つ人も居るだろう。「ヤクザ」な人が良いとは思わないが、「ヤクザ」な人を嫌いではない。

 今日のブログは、傷を負わないうちに、あまり深入りしないで止めようと思うが、結構、このブログというプライベートメディアも「真面目傾き社会」に貢献しているのかも知れない。危ないなあ。
 誰が読んでくれるか分からない日記に、本音が書ける訳もなく。
 
 考え悩んだ日曜日だった。たわいないと言えば、たわいない。
 今日は、良く晴れていたが、午後一度、スコールのような激しい雨が降った。

 実は、今、事務所は倉庫のような状態で、辛うじて仕事机だけが使える。
 惨憺たる状態。

hp 倉庫のような事務所 .jpg

 こんな状態ですが、床に座ってお茶は大丈夫。
 どうぞ。
 昼寝をするスペースが無くなったのに困っている。
 どうしたものか。



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2011年08月16日


 まだ、お盆休みのボケが頭の片隅に残っていて、朝のパワーが出ない。
 いつもより遅めの朝食(内容は、いつもと変わりないが、最近は、イタリア直送の生ハムとクリームチーズが加わっている)をとっていて、ふっと窓の外を見ると、西の空の低い位置に虹。

hp 虹1 110816 .jpg

 パワーの出ない朝に、一喝。
 携帯電話で撮影した写真ですが、皆さんへお裾分け。

 虹のパワーをもらって、先日、印画紙の枚数が足らなくて延び延びになっていた暗室に、今から籠もります。




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2011年08月14日

「ダンゴムシに心はあるのか」


 「ダンゴムシに心はあるのか」森山徹著を読んだ。

 はっきり言って、回りくどい。「ある」という結論へ導くための実験を手を変え品を変え行うのだが、著者は、それを「待つ科学」という。予想外の状況を実験対象のダンゴムシに与えて、その結果、意外な一面が引き出された時に、「通常では行動を抑制していた内なる力」が働く。すなわち、それが「心」なのだと言う。

 それを「心」と言うならば、言っても良いが、著者は、石にも「心」があると言う。石が劣化していく速度は、石によって調整されている。したがって、石にも「心」があると言うのだ。これは、納得できない。「石に神が宿る」というならば、それは八百万の神の国に住む一人として認めても良いが、「石に心がある」と言われると、素直にはうなずけない。一冊の本にするために、色々と書かなければならなかったのだろうが、核心だけを書いてもらった方が腑に落ちる。

 著者は言う。「待つ科学」は相手を傷つけることは決してしない。それには「付き合い」が重要だと。つまり、「働きかけて、待つ」ことで、「心による、余計な行動の抑制=潜在化」が明らかになると、「心」を明らかにするには「待つ」ことが大切であると強調しているのだ。

 はて、これは「写真」に通じるのではないか。
 ということは、「写真」は「心」を写し取っているということなのだろうか。




 
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2011年08月11日

野見山暁治著「一本の線」


 暇だから、一日読書で過ごした。
 野見山暁治著「一本の線」を読み終えた。
 野見山暁治という画家の名を知ってはいたが、作品は知らなかった。もちろん、今も知らない。

 高校卒業後、絵描きになりたいと福岡の郷里から上京して、芸大から学徒動員で狩り出された太平洋戦争を挟む10年間の自伝的エッセイだ。屈託のない文章表現とご本人が、どこまで一体なのかは分からないが、魅力的な人だ。ぐいぐいと周りを引っ張るタイプではないようだが、権威や権力に対する無意識のような反発心を腹の奥底に秘めていて、柳のように折れない。あやかりたいものだ。文章も自在で、惹き付けられた。

 91歳にして、現役画家。機会を見て、作品を観てみたいと思わせる。緒についた絵描きの魂と反戦のエッセイであり、女性への誠実な体験と想いを告白した若き日の思い出も人柄を偲ばせる。

 明日は、延ばし延ばしにしていた暗室をやろう。
 今日は、写真はありません。
 身分証明書に使う自分の顔写真を一枚撮影はしたけど……。



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2011年08月07日

暇になったので、写真集の紹介


 この2ヶ月、根を詰めた仕事に没頭していて、世間の付き合いを何もしてこなかった。頂いた暑中見舞いやお中元の返事や御礼は、そのまま。ましてや、寄贈していただいた写真集も手つかずの状態だった。
 昨朝、墓そうじに行って、午後から仕事をしようと事務所へ出かけたら、驚いた。何も予定に入っていない。8月は、ほとんど真っ白の予定表だった。フリーの写真家としては、かなり不安だが、ここで英気を養わないと、やっつけ仕事の連続になる。と思い直して、贈っていただいてた写真集を、読んだ。


 文・写真 栗原達男「100年の残影 西部の写真家・松浦栄」
本 100年の残影 .jpg

 この本は、ドキュメンタリーフォトフェスティバル実行委員会にいただいたのだが、ひと足先に読ませてもらった。
 栗原達男さんは、アメリカのワシントン州北部オカノガンで「フランクS.マツーラ」と呼ばれ、20世紀初めに活躍した日本人写真家が居たことを、29年前に知った。アメリカ辺境の地で100年前に活躍した日本人写真家が居た事実に感動し、ましてや同じ東京の下町向島生まれで、同じ写真家であるフランク・マツーラに共感した。それから、機会がある度にオカノガンを訪れ、マツーラの足跡を追跡することになる。
 冷淡に言えば、栗原達男さんの個人的なロマンを追い求めた成果と言えるが、栗原さんがマツーラに寄せる親愛の情は、深い。100年前のアメリカでこんなにも活躍し、辺境のアメリカ人にこんなにも愛され、現在もその業績が語り継がれている日本人写真家を、ぜひとも多くの日本人に知ってほしいという栗原さんの気持ちが、写真や文章、写真説明文にも滲んでくる。


 「宮澤賢治 雨ニモマゲズという祈り」とんぼの本
 文・重松清 澤口たまみ 写真・小松健一
本 宮澤賢治 .jpg

 私は、宮澤賢治が苦手で、真っ正面から読んだことはない。特に深い理由があるのではないが、おそらく本能的に避けて通りたいのだと自分では思う。そんな私なので、写真について。
 小松健一さんの写真には、情感がある。場所や物を説明しようとするのではなく、賢治の文学に内包されている感情を写そうとする意志を感じることができて、プロの写真家だなあと、写真を見ていて嬉しくなる。
 重松清さんの文章と小松さんの写真のコラボが魅力の本だ。この本も、一気に最後まで読まされる。


 「運河」熊切圭介写真集
本 運河 .jpg

 熊切圭介さんは、写真界の大御所として良く知られているが、写真集を拝見したのは初めてである。グラフジャーナリズムが興り、週刊誌ブームが興った最初の頃から時代の先頭を走ってきた写真家として、断片的には写真を知っていた。今回、縁があって、寄贈していただいた「運河」のページをめくると、第一印象は「粋」の空気感というような、何とも心地よい品の良い距離感の写真だった。年期が違うというより、育ちが違うという感じだ。気になって奥付を見てみると、案の定、東京下谷生まれ。うーむ、写真には育ちが出るなと、納得させられた。「運河」は、水の街と言われた東京の、この7、8年の運河の情景を人々の暮らしと共に撮影されている。毎日が当たり前のように繰り返される運河周辺の暮らしが、愛着と哀愁を重ね合わせながら伝わってくる。プロの写真家の仕事だと思った。


 「天地聖彩」高見剛写真集
本 天地聖彩 .jpg

 この写真集は寄贈されたのではないが、同じ九州で仕事をしている写真家の高見さんの近作なので購入した。彼が居住している大分県を核とした九州の天地、すなわち山々(湯布院・九重・阿蘇)を中心とした自然が織りなす四季の魅力が巧みなカメラワークで切り取られていて「上手い」と唸る。20年間の成果らしいが、そうだろうと納得がいく。これだけの自然の様相を撮影するのは、時間を必要とすることは私の経験でも分かる。美しく魅力的な九州の山々の姿ではあるが、高見剛さんらしさに欠けると思わせてしまうのは少々惜しい。


 「心のふるさと 雲南」田中四郎写真集
本 雲南 .jpg

 作者の田中四郎さんと面識はないが、10回も中国雲南省を訪ね、少数民族を撮影してきたアマチュアの写真家である。写真一点一点から雲南の少数民族の人々に対する親愛の気持ちが伝わると共に、作者の田中さんの真面目さが滲む。雲南の暮らしには大変な苦労があるだろうが、「自然と共に暮らす魅力を分かって下さい」。苦労をしながら暮らす雲南の人々の「素朴な魅力を分かって下さい」といった、田中さんの真っ正面からの声が聞こえてきそうな写真だ。ただ、それだけに写真が「分かって欲しい」に寄り、説明的になってしまっているのが残念に思えた。しかし、田中さんのように、行くことさえ困難な場所を何度も訪ね、地元の方々と交流をして、撮影をする写真家が居るからこそ、草の根の日中交流が衰えないのだと思う。田中さんの誠実な努力に乾杯。


 この他にも、ご飯を食べるのも惜しんで本を読んだ。
 「宮本常一とあるいた昭和の日本 関東・甲信越(2)」「ヴァレンタインズ」「パンとペン」「千年を耕す 椎葉焼き畑村紀行」「撮る自由」「限界集落」などだ。

 「パンとペン」黒岩比佐子著と「千年を耕す 椎葉焼き畑村紀行」上野敏彦著と「撮る自由」丹野章著は、2度目。
 昨日の朝日新聞「逆風満帆」に登場していたジャパネットたかた社長の高田明さんの言葉「その商品を使うことで暮らしの何が変わるのかという『商品の向こう側』を説明する」は、示唆に富む。
 どんな職業にも当てはまる言葉だと思った。もちろん写真家の仕事にも。

 脳が痺れてきた。
 今日は、ここまで。






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2011年07月29日

スイカのために市街地に家を買う?


 朝食の時、カミさんがマンゴーを食べながら、何気なく言いました。
 「ねぇ、街の中に庭のある家を買おうよ」
 「えっ、俺りゃ、家はいらねぇよ。今更、家にお金使うんだったら、旅行するよ」
 「今年は、スイカがすごく高いのよ。庭でスイカ作ってたら、いいと思うよ」
 「えっ、スイカ作るために、家を買うのかよ」
 「いいと思うよ。毎日、スイカ食べ放題で。油かすたっぷりやったスイカは甘いよ」

 …………。



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2011年07月23日

種をどちらが取るかで、ひと悶着


 これまでも度々ご報告しているが、我が家の朝食は壮絶である。
 今朝は、いよいよ血を見る一歩手前まで行ってしまった。私が大人げないと言えばそれまでなのだが、我慢ならないものは我慢ならない。

hp 朝食110722 .jpg








 発端は、毎朝食べているマンゴーにある。いつもならば、一人一個と決まっていたのだが、今朝は、あまりの贅沢に気が引けた私から申し出て、二人で一個のマンゴーで良いのではとなった。そこまでは、和気あいあいで、例によってグレングールドのピアノをBGMに土曜日の朝を楽しんでいた。

 さて、いよいよデザートとなった時、カミさんは私に包丁を渡して「マンゴー切って頂戴」と可愛く言う。ここが彼女の頭の良いところで、謙虚な私は、自分で切れば当然大きい方を彼女に渡すと知っているのだ。その戦略を薄々は感じていたが、素直にマンゴーに包丁を入れた。
 皆さんご存じだとは思いますが、マンゴーは真ん中に平たい種があって、その両側に包丁を入れて切り分ける。問題は、その種の部分に付着している果肉だった。私は、何気なく自分の皿にその種の部分を残したまま、カミさんのマンゴーを賽の目に切り、クルンとひっくり返して渡した。

hp マンゴー 110723 .jpg








 どうも様子がおかしい。カミさんの目が、私の皿に注がれている。
 その後は、思い出すのも息苦しい修羅場の朝食となってしまった。
 いくら、たかがマンゴーの種とはいえ、譲れないものは譲れない。
 包丁が、すぐ目の前にあったのが良くなかった。
 嗚呼……。

 原稿が切羽詰まっていて、ブログを書いている余裕はないのだけど、……。
 明日からは、沖縄で取材です。一人で、思いのままマンゴーを食べてくるぞ!!


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2011年07月13日

禿頭も剥げる


 照りつける梅雨明けの太陽の下で、一週間ほど取材をしていた。
 ある日、昼食をとったレストランの洗面所で鏡に映った我が顔を見て、なんだか奇妙な雰囲気の頭に気付いた。額から頭頂部にかけて、コンニャク茎の模様そっくりのまだらになっている。驚いてちょっと拭いてみたが模様は取れない。ゴシゴシ擦ると、ポロポロと頭皮が落ちてきた。梅雨明けの強烈な日差しが頭皮を焼き焦がし、禿頭も剥げるのだと初めて知った。

 ズボンの前と後は、おしっこを漏らしたように汗の染み。ワイシャツからも汗がしたたり落ちる。びしょ濡れのハンカチを、頭の上に乗せて歩くとすぐ乾く。ハンカチは汗臭い。あぜ道や草むらや水たまりにも入っていくので、一日中長靴を履いているため足は蒸し風呂状態。

 何とも爽快な暑さだ。「よーし、仕事するぞ」と、腹の底から意欲が湧いてくる。
 高校生の時、朝、登校するのに長ズボンに長袖の白ワイシャツを着た途端、一気に汗が吹き出してきた。そうすると「よーし、今日も一日頑張るぞーっ!」という意欲が湧いてきたのを思い出した。

 猛暑の中そんな意欲的な取材をして、本日帰宅。
 ひんだれたけど、面白かった。

 写真は、未現像なので、いつか改めて見てもらいます。

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2011年06月27日

ニュードキュメンタリー


 「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」を観た。

 どの写真も、淡々とした静かな語り口。
 最初の写真群は、Tokyo and My Daughter 47点。Cプリントがフォトアクリルに。写真の大きさは様々。じっとカメラを見る娘、日常の生活の中でのちょっとした場面。どこの家庭のアルバムにも貼り込まれているような淡々とした写真。だが、恐らく、このような不安げな、淋しげな表情の写真は家庭のアルバムにはあまりないかも知れない。家庭のアルバムには、笑顔や特別の日の晴れやかな記念写真が貼り込んであるのだろう。その意味では、ホンマタカシの娘の写真は、ありそうで、ない写真。

 これらの写真が、東京のビルや高速道路の写真に挟まれるように展示されている。My Daughterとタイトルにはあるが、解説を読むと、ホンマタカシの娘ではないそうだ。いや、そうなのかも知れない。東京というビル群の中の一角に、この少女の日常が繰り返されているというメッセージなのか。ビルや高速道路の無機的なイメージが、少女の柔らかい仕草や淋しげだが可愛らしい表情に被さってくる。人類が獲得した都市という現代の文明が、少女の幼く柔らかい生命を脅かしているかのようだ。漠然とした不安と寂しさが、静かで淡々とした感情を伴って澱のように心に残る。それにしても、これらの写真に何かの意味を見出そうとすること自体が、無意味な気もする。

 反面、Together:Corridors in Los Angelesの写真は、野生動物が自由に行き来していたロスアンゼルス郊外にフリーウエイが通り住宅が建設されることで、野生動物の生息地が人間に侵略されている現実。そのために、フリーウエイの下には野生動物が行き来できるようにトンネルが造られている。フリーウエイの上を通る車や住宅地の人々は、すぐ近くに生息する野生動物の存在を忘れているようだが、夜になると人間の生活圏のすぐ近くでマウンテンライオンやコヨーテなどの野生動物が行き来している痕跡を発見することができる。

 そのため、環境保護団体が、野生動物のために舗装を取り除くなど自然の状態に戻そうとする努力をしているのだという。
 このシリーズも、写真は淡々とした語り口で、声高に何かを主張するようなことはない。解説をマイク・ミルズが書いたそうで、共同プロジェクトで制作されたシリーズだ。
 理解を、解説に頼ってしまうが、写真の果たす役割は明確だ。

 Trailsは、知床で鹿狩りを撮影した作品だと解説にあるが、雪の上に突き出した細い木々が折れて殺伐とした情景の中に、血のような赤い染みが落ちている。しかし、この赤い血は解説によると、本当に血なのか絵具なのかは、分からないとのことだ。
 このシリーズも、淡々と無造作とも思えるように、白い雪の中の赤い染みが撮影されている。雪の中から突き出した黒い枝の線が、ある意味では作為的に取り込まれているようにも思えるが、これもどこまで作為的なのかは分からない。この赤い染みが絵具ならば、相当作為的なのだが。事実と虚構が、混ざり合っているような仕掛け。
 入口で受け取った解説文が唯一写真を読み解こうとする手がかりだが、その解説でも最後は、「かえってその謎は深まるばかりである」と締めくくってあって、とりつく島もない。

 写されたもの一つひとつは、イメージを呼び起こす。心に湧いたイメージを次々と見ていくことで、イメージが重ね合わさり、深い落としどころとしてのイメージに連れ込まれたように思えた。
 しかし、私が連れ込まれたと思ったイメージが、ホンマタカシの意図したことだったかどうかは分からない。恐らく関係ないのだろう。

 写真は、写っている物から逃れることはできない。観る者が十人十色であるならば、写っている物から得られる印象も十人十色だ。その印象を一定の方向へ導き、意図したメッセージへ到達するように導くのがこれまでのドキュメンタリーだった。
 ユージン・スミスやセバスチャン・サルガドなどをすぐに思い付く。
 その意味では、ニューと冠を付けたホンマタカシのドキュメンタリーも、社会へのメッセージという意味では共通している。
 しかし、声高にメッセージを主張するのではなく、野生動物への関心を表すとか、生活圏が都市化されることへの不安とか、世界が均一化されていく経済活動への疑問とか、という形で、ホンマタカシが発信する社会へのメッセージのようだ。
 それは、モダンアートの有り様に通じる。
 
 ニューと付けたドキュメンタリーを標ぼうするホンマタカシ(ホンマ自身が言っているのではないかも知れないが)の写真を観ていると、静かで淋しい感情を意識する自分に気付く。しかし、何か具体的な腑に落ちるものへ到達するのではない。強いて言えば、不確かなものをそのまま提示することでしか前へ行けないというホンマタカシの意思を感じた。

 私とは、遠い地点で仕事する写真家のようだが、不確かなものを不確かなものとして提示する。一定の方向へ導こうとしないドキュメンタリーに、共感を覚えたのも事実だ。
 そう言えば、ホンマタカシが敬愛する中平卓馬と森山大道が「確からしさの世界を捨てろ」という写真論を出版したことがあった。私が20歳代の頃だったと思うが、今回のホンマタカシのニュー・ドキュメンタリーと同じように、「そうだ、そうだ」と共感を覚えた。しかし、だからといって、私の写真を私がどうすることもできないのも事実。生理現象のように、自分でも思うようにコントロールできないのが、写真。限りなく自分なのに。

 過去と現在が入り交じり、虚構と現実が入り交じる写真群。「上手い」「良い」という評価を求めるこれまでの写真史が積み上げてきた表現としての方法を考慮しないストレートな撮影。

 ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリーは、刺激的だが私には難解でもあった。しかし、写真が到達している表現の一つなので、遠い道でも向かい合って行くしかない。

 日曜日で最終日だった今日は、20歳代30歳代らしき若い世代の観客が大勢だった。彼ら彼女らが、このホンマタカシをどのように観たのか聞いてみたかった。が、思いとどまった。

 
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2011年06月14日

「写真家・東松照明 全仕事」を見る


名古屋市美術館で開催されていた「写真家・東松照明 全仕事」を見るために、9日と10日で名古屋へ行った。
東松照明の仕事が、ほぼ年代順に展示されている。512点の迫力だ。

写真は、名古屋市美術館を出たところで見える名古屋プラネタリウム
HP 名古屋プラネタリウム 110610 .jpg

「写真家・東松照明 全仕事」を、9日の午後と10日の午前、2回見た。
ほとんど他の何をする気にもならず、写真展を見ただけで宮崎に帰った。
感激、感動というのではない。ワクワクする精神状態でもない。体の芯に、疲れが残った感じだ。
写真展がつまらなかったというのではない。

東松さんが、二十歳の時(1950年)に撮影した「皮肉な誕生」から2008年に撮影された「溶解変形したガラス瓶」までを、ある意味では意識して、あるいは無意識に辿る写真展。一人の写真家が時間を経て、変わっていく面と変わらない面を気付かされる。

思い返すと、私が初めて買った写真集が「東松照明写真集 〈11時02分〉NAGASAKI」だった。
1969年に阿佐ヶ谷駅北口アーケードの中にあった小さな古本屋で買った。その時から、私の「東松照明」は始まった。
その次に衝撃を受けたのは1975年発行のカメラ毎日別冊「太陽の鉛筆」だ。その時から36年間が経っているが、「今までに出会った写真集で最も好きな本は」と聞かれたら、「太陽の鉛筆」を揚げるような気がする。「ような気がする」と、含みのある書き方をするのは、他にも2,3冊、同時に浮かぶ写真集があるからだが、いずれにしても、その内の一冊である。

「太陽の鉛筆」の中の沖縄は、愛おしく、切なく、哀しく、屹立していて、美しい。

今回、どうしても「写真家・東松照明 全仕事」を見ようと思ったのは、この写真展のチラシに使ってある写真を見たからだった。
1979年に宮古島で撮影された写真で、馬に乗った男性が、わずかに左へカーブする白い道を少しうつむき加減で行く後ろ姿。真っ青な空に、白い雲が幾つかくっきりと浮かんでいる。画面右には、電柱が少し斜めに。

やはり、愛おしく、切なく、哀しく、美しい。

今回の写真展の中では、やはり、沖縄が好きだった。それと、子どもかな。

今回のプリントは、美しいとは思えなかった。テーマごとに分けた展示になっているのだが、プリントを寄せ集めた印象があった。照明もきれいとは言えない。それでも、512点は圧巻だ。

考えた。写真を見ながら、考えた。
東松照明について、写真について、写真家が撮影するテーマについて、写真家の仕事について、自分の写真について。
腹の底から沸々とエネルギーが湧いてくるのを感じたのは事実だ。

疲れたけど……。






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2011年06月04日

309同窓会と朝ドラ


 土曜日の今日、昼前から中学3年の時の恩師を自宅に訪ねて、同窓会があった。
 同窓会といっても、大げさなものではなく、同級生6人が誘い合わせて、恩師自宅庭のビワをちぎりに行ったというだけのこと。中学時代の同級生とは、年に数回は顔を合わせる。幹事役がよくやってくれるというのか、マメというのか、ありがたい。

 ここでも、やはり、話題は、3・11。もちろん、それだけではないが……。
 体調管理のために通う水泳教室で教えてくれる胸毛の若い男性教師、体脂肪を減らすドリンクはいかに効果があるか、お中元で贈ってもらったスッポン、素潜りで突き損ねたブダイ、釣り損ねたウミガメ、日豊線を挟んだ線路向こう地域の中学生時代の暮らしぶりの違い、冷凍柿はアイスよりも上品な甘さ、真空管アンプの音の不思議と難しさと豊かさと人との出会い、懐かしのメロディが甦らせる記憶など話が次々と展開する中で、また、3・11の被害について、福島第一原発による放射能汚染の問題への対応について、行きつ戻りつ話は進む。

 皆の意識の奥底で、3・11から逃れることはできそうもないようだ。
 戦後生まれの我々にとって歴史上の出来事ではなく、生の現実の問題として自らが考えることを突き付けられた大きな課題だと思う。戦争があった、終戦の厳しさもあった、広島も長崎もあった。しかし、戦後生まれの私にとっては、身近ではあるが、歴史上の出来事だ。3・11は、違う。私の人生の中で同時進行形で突き付けられた課題だ。
 その意味で、私との身近さの差はあるが、土呂久鉱害事件や水俣病事件と同じである。人類が進歩することの意味、豊かになるという意味、幸せに暮らすという意味。問い続け、考え続け、堂々巡りをしながら深めていくしかない課題。その依り代として土呂久や水俣が、私にはあったが、それに3・11が新たに加わってきたのだ。

 今日も少し話題になったが、NHKの朝ドラが昭和初期の時代背景で、(私は、朝はテレビを見ないのでまったく知らないのだが……)テーマが、知らないことの幸せ、持たないことの幸せらしい。人気があるらしい。切なさが良いらしい。いつの時点で企画されたドラマか知らないが、3・11の前から企画されていたことは確かだろう。経済優先社会の次を描ききれないまま右往左往している日本の今を反映したテーマだと思った。

 3・11を自らの課題として考えるのも、次の社会の姿を描き切れない時代の影響を受けているからだと思う。ぼんやりとは描ける。しかし、細部が見えない。

 又もや、袋小路に入ったようだ。

 時代を後戻りすることはできない。
 いつでも、まだ見たことのない社会を目指して、今日を生きるしかない。
 その意味で先ほどの朝ドラは、共感はするかも知れないが、思考停止への道でもある。

 一人は、持たない選択が可能だ。一人は、知らない選択が可能だ。しかし、持ってしまった社会から持たない社会へ引き返すことはできない。知ってしまった社会から知らなかった社会へ戻ることはできない。

 持ってしまったけれど幸せな社会。知ってしまったけれど幸せな社会。どんな社会なのか。

 今日も、写真はありません。
 撮影はしているのですが、最近はモノクロばかりなので……。






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2011年04月29日

3・11について考える その2


まだまだ、気持ちのどこかで、晴れ晴れとはしない何かに囚われ続けている。
被災地の東日本とは遠く離れた宮崎に暮らしながら、これまでの災害ニュースとは異なる影響を受けている。
何ができるのか、何か力にならなくてはと、心のどこかで思い続けている自分に気付く。
茫漠とした大きな力なのだ。何かに強制されている感じではなく、自然とそこへ意識が向けられている。

3月14日付けの朝日新聞に掲載されていた女川市の航空写真を見てから、ずっと気になっていた塩竃市の友人。
安否を確かめるために電話をすることが怖かった。

先日、震災の被害とは異なる取材のために、福島県会津盆地を訪ねた。ここからは、車で3時間。そんな近くまで来ていて、連絡をしないことに違和感が増してきて、意を決して携帯電話へ連絡をしてみた。呼び出し音が鳴った。あ、大丈夫だったのだと、ほっとすると同時に、後ろめたい気持ちが湧き上がってきた。少し待って、恐らく30年近く会っていない友人の声が聞こえた。最初、戸惑うような声。次の瞬間、「いやーっ、懐かしい声」と、彼が言ってくれた。彼は、私の携帯電話の番号を登録していなかったのだ、と思う。この言葉で、一気に、空白だった30年近くの歳月は、吹っ飛んだ。

長く話しをした。
塩竃市の港は入り江が深いので、女川市のような壊滅的な津波の被害は受けてないことや、たまたま彼は、地震の時に沖の離島から帰る船の上で、これまで経験したことのない海の表情と揺れを感じたこと。船が塩竃の港に着いてから、津波が来るまでに安全な場所へ移動するため走りに走ったことなど、生々しい当日の様子を伝えてくれた。

無事だったとはいえ、本当に紙一重の命からがらだった訳だ。
3・11以後、ずっとわだかまっていた気持ちが、少し和らいだ。

それから数日後、取材の都合で、丸一日空白の日ができた。よし、彼に会いに行こうと思った。朝9時に、泊まっていたホテルを出発し高速道路を走った。ちょうど昼頃には、塩竃市に到着したが、彼は仕事で3時までは時間が取れない。彼を待つ2時間余りの時間を使って、塩竃市から津波被害のひどかった七ヶ浜町花渕浜へ行った。

この日の数日前、たまたま熊本市の友人から電話があって、「物見遊山と言われても、写真家なら被害の現場は見ておくべきだ」と言われたこともあって、被害の片鱗でも見ておきたいと思ったのだ。
何の目的もない。後ろめたさを引きずったままだった。

七ヶ浜花渕浜は、地震のあった日から40日余り経っていたので、被害にあった家々の片付けは進んでいて、瓦礫の山が累々としている状況ではなかったが、被害の深刻さはまだ生々しかった。少し写真を撮ったので掲載します。

テレビや新聞のニュースで見ていた船が屋根に乗っている状態は、そのままになっていた。
hp 屋根に船 .jpg

瓦礫は片付けられ、家の土台だけが残る場所に、日の丸がはためいていた。この日の丸には、家主の気持ちの何が託されたのだろうか。日の丸を立てている家主の姿を想像してみる。
hp 日の丸 .jpg

雛飾りが、外で小雨に打たれていた。
hp 放置された雛人形 .jpg

つい先ほどまで、談笑が聞こえていたような居間の外壁が剥ぎ取られ、生活の時間が止まったまま剥き出しになっている。
hp 剥き出しの居間 .jpg

片付けをあきらめたのだろう、家から溢れ出した家財道具は放置されたままで、玄関には携帯電話番号を書いた紙が貼られていた。港からは奥まった家だが、庭先に船が突っ込んでいる。
hp 放置された家 .jpg


友人と話したことや、塩竃市の様子なども書きたかったのですが、長くなり過ぎました。福島原発事故による放射能汚染の問題は、先の見えない暗闇に追い込まれていくような不安と怒りが深くなるばかりです。遠く九州の宮崎に居ても、3・11が突き付けてくるものは、避けて通れない。

被災地の復興計画を策定するための国家戦略的委員会は発足し、被災地の再建について話し合いが始まったようだ。そのニュースの中で気になる言葉があった。誰が言った言葉なのかは分からないが、「東日本の被災地を世界に誇れる先進地域として復興する」というような内容だった。「先進地域」もしくは「先進都市」だったか。何かが引っ掛かる。恐らく、その復興計画委員会には、一般の住民は入っていないのだろう。

復興していく道筋は、「先進」ではないような気がする。泥にまみれた家族の写真を探し歩く人々は、写真に何を求めているのだろうか。人生という時間が積み重ねてきた記憶なのか。時間の染みに気持ちが癒されるのではないだろうか。先進ではなく、そんな過去の時間が蓄積してきた染みが漂う地域を作ってほしい気がする。

しかし、それよりも、被災から50日も経って、未だに避難所の床の上にシート一枚、毛布一枚で横たわっている被災者の救援が先。
先日、東京の会議に出席した時、仙台市の友人が声を詰まらせて話してくれた。
「ニュースにはならないけど、避難所で体調を崩して病院へ運ばれ、そこで死んでいく人が毎日いるんですよ。食べるものがなく、年寄りの食べているものを横取りするような人が出ているんですよ」

日本が世界でも豊かな国であることを疑う人はいないが、こんな被災地の状況を50日経っても放置せざるを得ない国が、豊かなのだろうか。
今日は、終わります。



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2011年04月09日

3・11について考える


宮崎は、清々しい晴天。風もなく暖かい。
桜は、すでに満開の時期を過ぎているという噂である。今年は、花見をしていない。公園の一角や民家の庭先で咲く大木の桜を横目で眺めて通り過ぎている。

今朝、事務所へ歩いてくる途中の県庁前楠並木通りでは、昼前からコンサートが行われるようで、ステージが特設され物産店のテントが準備に追われていた。
県議選最終日の今日は、穏やかな一日になりそうである。

3月11日以降、テレビのニュースを見る機会が減った。新聞も丹念に読まなくなった。たまに友人から送られてくる福島原発事故の現状をインターネットで読むことがある。
事務所には、グレングールドのピアノが流れている。じっと聞いていた。

目をつむって被災した人々の今を想像してみる。自分が、名も分からない被災者の一人に成り代わってみる。じりじりとした焦燥感が胸の奥からせり上がってくる。何かをしなければと思い続けている。何も思いつかない。

遠い宮崎で、それなりの日常があって、63歳のじいさんが、悶々としている。
3・11について、考えてみる。私の、この悶々としている気分は、もう何年も前から続いているように思える。何のために今日を努力するのか。答えのない問いかけが、唐突に胸の奥から突き上げてくる。10歳代の若者ならばいざ知らず、還暦を過ぎたじいさんの問いかけではないだろうと思う。思うが、問いかけてくるのだから仕方ない。

3・11について、考えてみる。日本史には、12・7や8・6や8・9や8・15という日付で記憶される歴史上のターニングポイントがある。しかし、戦後生まれの私には、これらの日々は、切実な意味を浮かび上がらせてこない。

記憶に新しい日付では、9・11がある。テレビで繰り返し放送されていたニューヨーク世界貿易センタービルの映像は、衝撃だった。しかし、私には、あくまでもニュースとしての事件であった。
その後、世界に、疑心暗鬼の空気が流れ、不安な気分の時代が続いた。それでも、イラクへの爆撃によって命を落とした市民の側に、自分の身を置き換えて考えてみるということまではしなかった。

高度経済成長の神話に疑問を感じ始めたのは、いつ頃からだったか。土呂久鉱毒事件と水俣病事件の被害者の暮らしぶりに影響を受けているのは確かだが、経済成長を前提にした社会に疑問を持ち、目指すべき別の社会の姿を描こうともがき続けているのが、私の今だ。鮮明に目指す社会が見えているわけではないので、言葉で伝えることのできないもどかしさがある。宗教的な、精神的な社会ではないようだ。これまでと違う社会へ向かって動き始めている。一歩を踏み出しながら考えようか。

じっと目をつむって、3・11の東北大震災で被災した人々のことを考えてみる。自分が、名も分からない被災者の一人に成り代わってみる。妻や子、親を亡くした。友人が亡くなった。仕事が無くなった。家が無くなった。近所、地域が崩壊した。これまで長い時間を掛けて積み上げてきた愛おしいもの全てを失った。そんな悲しみや虚しさや切なさが入り交じる虚脱感の中で、自らを支えてくれるのは何か。

3・11の災害は、一人ひとりに何かの対応を求めている。お前は、この事態に何ができるのか。現実は、急を要している。救援活動に励む人々。ボランティア活動に励む人々。さて、お前は……。

土曜日の今日は、一日中、少し前に届いていた写真集2冊に読みふけっていた。
本橋誠一さんの「賭場」と石内都さんの「キズアト」。
ページをめくりながら、写真家という仕事について、考えている自分がいた。

社会の中に存在していることは誰もが知っている場所。
しかし、誰も真っ直ぐに目を向けようとしてこなかった場所。
そんな場所を真っ正面から見つめている写真集「賭場」は、脳天を一撃されたような衝撃だった。
写真家は何をなすべきなのかと、問いかけられている。

自らに嘘は付けない。
「これが私なの」と、石内都が透けて見えてくる「キズアト」。
作家であることの純真さを保つことが、写真家であり続ける必須要素であると教えられる。

もう外は真っ暗だ。
グレングールドのピアノが流れている。


posted by jin at 20:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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