2011年03月14日

無事で


 今朝の朝日新聞に、東北関東大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町を上空から撮影した写真が掲載されていた。
 その写真を子細に見つめているうち、昨年4月10日、女川の沖に浮かぶ江島(えのしま)を取材する前日、女川の街を歩いたことを思い出した。
 写真は、港の上空から、街を手前に山へ向かってレンズを向けている。
 私が歩いた街中の道をかろうじて辿ることができる。

 海岸で立ち話をした男性、私に向けておしっこをした学校帰りの少年、観光協会で親切にしてもらった女性。そして、その翌日、江島で「おらが江島」を取材をさせてもらった茶飲み友だちのお年寄りたち。

 おらが江島の歌詞は、次の通りだ。

 風に心があるならば 乗せて見せたや おらが島
 西は女川良港で 東太平洋広く 朝日輝く黄金島
 島を救いの若人よ こげやろかいを やんさとこげや
 おらが江島 朗らかな島よ

 皆、無事でいるのだろうか。
 写真家という肩書きを持つ一人として、宮崎の事務所で暖房の中に居ることに罪の意識が少しある。
 「被災地に行かなければ」という思いと、「行ってどうする」という言い訳とが、交差する。落ち着かない。

 東北地方には、取材でお世話になった多くの方々が居られる。
 季刊新聞「リトルヘブン」で取材させていただいた盛岡市玉山区の皆さん。月刊「ガバナンス」で取材させていただいた遠野市の皆さん、漆の樹液を採集しておられた職人さん。42年前、私が初めて月刊誌の取材で訪ねた松尾鉱山でお世話になった方々も、今では盛岡市で暮らしておられる。一旦定年を迎えたが、再度、昨年から現役の記者として塩釜市で取材をしていた30年前から付き合いがある毎日新聞の記者。

 皆、無事でいるのだろうか。いてほしい。




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2011年03月02日

ひな祭り


 母とカミさんと一緒に、都城のひな祭りを見に行った。
 創作の現代変わり雛から江戸時代末期のシックな雛など、壮観だった。

 会場は、蘭博物館(都城市吉尾町6213)
 会期は、3月6日(日)まで 2日(水)は休館
 開館時間は、午前10時から午後5時
 入場無料
 ひな人形に関する小物や和風バッグなどの販売もしているが、チャリティーひな祭りとして売上金の中から福祉施設などに寄付を行っている。

hp ひな祭り 1 .jpg

hp ひな祭り 2 .jpg






hp ひな祭り 3 .jpg

hp ひな祭り 4 .jpg








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2011年03月01日

弁当


 昨日の朝、一番に市役所へ行った。
 印鑑証明が要ることになったためだ。

 その窓口で、現在私が使っている「印鑑登録証カードは、3月末で使えなくなるので、住基ネットカードか市民カードに切り替えて下さい」と説明を受けた。

 住基ネットカードは、国民総背番号制度への道だと思っているので、この制度が始まった7年前から市役所の窓口で「この制度には入りません」と意思表示をして、従来の印鑑登録証カードと運転免許証を併用してきた。窓口での説明によると、住基ネットカードに反対する市民が居るので、国の制度とは異なる市民カードを2年前に作り、住基ネットカードを拒否する市民には、こちらを勧めてきたようだ。

 窓口の説明では、市民カードは宮崎市独自の制度で、国の制度である住基ネットカードとは連動していないので、国民総背番号制度に組み込まれることはないと言う。

 しかし、コンピューター社会という仕組みを考えてみると、現在は、宮崎市独自のマスターコンピューターにデータは保存されるだろうけれど、そう遠くないいつかは、国の制度である住基ネットと連動するだろうと考えるのは必然だ。そうでなければ、市民カードという制度を宮崎市独自で敢えて作る必然がない。

 「私は、そう考えるので、住基ネットカードにも市民カードにも入りません」と、窓口で伝えると、窓口の職員は、話の判らないじいさんだなというような顔をして、上司を呼んだ。係長としばらく、同じ話を繰り返し、押し問答をして、課長補佐のところへ案内されて行って、ここでも同じ話を繰り返し、押し問答をした。その後で、横で話しを聞いていた課長が話しに加わり、やはり同じ話を繰り返し、押し問答をした。

 課長は、「市議会で決まったことですから」と、市民の意思を反映している制度であることを強調しながらも、私のような天の邪鬼の存在について何の配慮もなされていない制度であることは、認めた。住基ネットカードか市民カードのどちらかの制度に入る以外に、印鑑証明を発行してもらうことはできないと、はっきり言った。意志を持って、拒否している市民は、課長補佐の話だと、宮崎市民では10人以下だそうだ。印鑑証明は、社会生活を営むためには、どうしても必要な場面がある。その印鑑証明を発行する道を閉ざす制度は、基本的な生活権を侵しているのではないかと、思う。何らかの、道は開いておくべきではないだろうか。

 住基ネットカードも、市民カードも、行政の合理化を進める上で、避けて通れない制度であると説明を受けた。理解はするが、私は、その制度には与しないと言っているのだから、例えば、印鑑証明の発行手数料が、現行では一通300円だが、カードを使わない場合は、別途に、合理化できなかった人件費として上乗せし徴収すれば良いのではと考える。

 様々な考え方で生きる人が世の中には居る。行政の合理化に反対するものではないが、それらの人々の考え方を尊重する制度を活かしておくことも、民主的な行政の役割だと思う。

 そう言えば、後から話しに加わった課長が、私に「お客様」と呼びかけた。私は、違和感を覚え、「私はお客ではない。市民だ」と言った。すると、課長は、「行政はサービス業ですから」と言う。果たして、行政はサービス業だろうか。サービス業的な業務もあるだろう。しかし、行政は、市民と共により良い暮らしを営むための施策を考え、実施するための仕組みであって、同じ方向を向いて歩く同胞だと思う。サービス業という認識には、相向かい合う意識が存在するような気がした。又、サービス業という言葉には、経済を介在する意識が存在するような気がした。「お客様」と呼びかけられた時に感じた違和感の根拠だ。

 こうして、市役所で1時間30分も費やしてしまった。お互いに無駄な時間だった。

 事務所に帰って、弁当箱を開けた。
 彩りの良い、カミさんの気合いを感じる弁当だったので、ちょっと気持ちを持ち直した。

hp 弁当110228 .jpg

 ごちそうさまでした。









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2011年02月18日

徒然なるままに、伊豆大島の「伊豆岬島」


 もともと強い意志を持って始めたブログではないが、一か月半にも及ぶ休みがあると、復帰するのが一層難しくなるようだ。

 気持ちは充実している。と、思っている。仕事もきちんと集中して、こなしている。おまけに、今年は、2年間計画で「宮崎ぶらぶら日記」の撮影を始めたばかりだ。「水俣」も、心機一転で撮影を始めている。月刊ガバナンスに連載させてもらっている「島の唄を訪ねて」も、さらに一年間の延長が決まった。季刊新聞「リトルヘブン」19号の兵庫県での取材も順調に終わり、編集が今、大詰め。ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎の第11回は、NKさんが事務局長を引き継いでくれて、メインゲストに石内都さんに来ていただき、1月30日に幕を閉じたばかりだ。

 1月中旬には、「島の唄を訪ねて」の取材で、33年前まで5年間暮らしていた伊豆大島を訪ねた。差木地地区の春日神社の祭りで、奉納される「伊豆岬島」を取材したかったからだ。私が住んでいた時、一度だけ、「伊豆岬島」を撮影させてもらったことがある。その時の印象が強烈で、月刊ガバナンスで島の連載をすると決まった時、一番に思い描いたのが「伊豆岬島」を唄い踊る差木地青年団の姿だった。

 私が伊豆大島に住んでいた頃、成人式は、1月15日と決まっていた。そして、その日に、春日神社の祭りも行われていた。青年たちは、まず、春日神社に「伊豆岬島」を奉納し、浜宮様に奉納し、クダッチの交差点で披露し、夜は、この日に成人式を迎えた新成人の家を「伊豆岬島」や「祝い唄」を唄い踊って廻り、成人となった島の若い仲間を祝っていた。女性はアンコ姿、男性は着物に羽織りに角帯で正装し、祝いの膳が並ぶ座敷で唄って踊る。成人を迎える若者が多い年には、廻り終わるのが深夜になることもあった。

 しかし、祝日法の改正で、成人式が1月15日と決まったものではなくなってから、新成人の家々を祝って廻ることはしなくなったとのことだ。今年は1月16日に、春日神社の例祭が行われた。今は、差木地青年団ではなく、伝統芸能を継承することを目的として世代を越えて集まった男たちでつくる「じねんじょ会」が、「伊豆岬島」の唄と踊りを奉納している。着物に角帯を凛々しく締めて、正装した男たちが魅力的だったのは、30数年前と変わらない。

 「歳の差は越えられない」と、半分ぼやきながら、嬉々として(?)年長者の指示を受けて働く若者を見ていると、集落の男たちには絶対に乗り越えられない世代の壁が持つ意味を、評価したくなった。地域が安定して機能するための、仕組みに思えたのだ。

 取材した号がまだ発刊になっていないため、写真はありません。
 何を書くと決めて書き始めたのではなかった。ただ、そろそろ更新しておかなくてはという強迫観念めいた気持ちが書かせた今日のブログです。失礼しました。

 あまりにも書きたいことが沢山あると、かえって書くことができないのがブログなのかも知れない。



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2010年12月31日

整いました


 あと数時間で今年が終わります。
 皆さんにとって、今年は、どのような年だったのでしょうか。
 私は、今、まだ、年賀状を書いています。
 それだけで、お分かりでしょう。
 大きな枠組みでは、まずまずの年だったと思います。

 しかし、細部を見ると、かなり難しい。
 夜中に、何度、冷や汗をかいて飛び起きたことか。
 毛布は、汗でびっしょりなんてことが、何度かありました。
 何と言っても、私は、寝る時は、シャネルの5番なので、やたらと立ち上がることはできない。カミさんが目を覚ましたならば、気が狂ったと勘違いして、救急車を呼ぶなどされたら、大騒ぎになる。

 そんな一年でありましたが、何とか「整いました」。
HP 正月飾り .jpg









 新しい年を迎える準備が、形だけですが整いました。
 事務所の入口に注連飾り。
 室内の飾り棚には、お供え餅。但し、ダイダイがでかすぎて、ちょっと様にならない。手前の焼き物は、秩父の市川良夫さんの作品だ。新しく事務所を開いた時にお祝いで戴いた。すごく気に入っていて、500円玉の貯金箱にしている。

HP お供え餅 .jpg


 というような訳で、何とか年は越せそうだが、まだ、年賀状が…………。
 切ない年の瀬が、迫ってくる。

 今年一年、皆さまにはお世話になりました。お陰様で、何とか、今年もやって来ることができました。
 ありがとうございました。

 宮崎でも、今朝は、雪がちらついていました。
 寒さの厳しい、良い年の幕開けとなることでしょう。
 ああ、希望が湧いてきた。

 早く年賀状を書き終えて、紅白見よっと。
 娘夫婦が贈ってくれた、カニも食べよっと。
 先日の忘年会の時の残り物の焼酎も飲もっと。


 それでは、皆さま、良い年をお迎え下さい。






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2010年12月25日

四国の法事に母と行く


 少し古い話だが、12月初旬に四国の母の実家で祖父の17回忌の法事があった。

 この夏に膝の手術をして、痛みを感じないで何とか歩けるようになった母は、この法事を機会に実家に帰り、姉妹に会いたいと思い始めたようだ。もちろん気持ちに張りを持ってもらうために、私も、「行こう」とけしかけた。
 母は、「死ぬ覚悟で行く」と決意を固め、リハビリに励み、お土産を買い揃えて準備を進めていた。
 私では、母の身の回りの世話ができないので、カミさんも誘って、同行してくれることになった。

 さて、当日。
 宮崎から臼杵港まで車で4時間半の行程だ。それからフェリーで八幡浜港へ。四国に上がってからは2時間ほどで実家に到着することができるが、休憩の時間も入れると約10時間の旅である。母の体力が耐えられるか、わずかな不安はあったが、母の気力は充実していた。

 朝7時30分に宮崎を出発し、国道10号線を北上。途中のコンビニで朝食用のおにぎりを買ったのは予定どうり。しかし、このおにぎりを買うのに、どういう訳か、カミさん15分も掛かった。私は、激怒。
 カミさんに言わせると、少しでも美味しそうなおにぎりを選び、味噌汁も吟味してお湯を貰っていると、時間は掛かるのだそうだ。

 しかし、私は、当然、車を運転しながらの朝食となる。だから、おにぎり。
 そんなことは、おかまいなしの吟味したカップ入りの味噌汁なのだ。ハンドルを握っていて、どうやってカップ入りの味噌汁を食べよというのか。
 ええーぃ、勝手にしやがれ。
 もちろん、母とかみさんは、美味しそうに味噌汁を啜っている。

 で、臼杵港に到着した。
 ほんの2〜3分ほど前に桟橋を離れた八幡浜港行きのフェリーの後ろ姿が、手の届きそうだ。
 あの、おにぎりを買うのに15分も掛からなければ、あのフェリーに乗れたのだ。
 ええーぃ、勝手にしやがれ。
 臼杵港で、所在なく約1時間を過ごした。腹を立てながら。

 乗船切符を買う時、母の足が不自由であることを告げると、一台だけスロープを利用して2階デッキまで車で行けるような計らいをしてくれた。お陰で、母は、ほとんど歩くことなく客室へ入ることができた。有り難い配慮だった。

フェリーのデッキから
hp 3 フェリーの上から波を見る .jpg


一台だけ2階デッキまで車を入れさせてもらった
hp 39 フェリーデッキ 車 .jpg







母は、4時間半の車の旅で疲れて眠っている
hp 1 フェリー船内で横になる .jpg








従兄弟が取り仕切る祖父の17回忌。
法事の始まる前、住職が卒塔婆に梵語を書く。
hp 9 住職 卒塔婆を書く .jpg


座敷に特別に設えた仏壇前での法事が終わると、皆で墓参。
hp 24 墓で 全景 .jpg


母が念願していた父親の墓に参る。
hp 22 墓前に母参る .jpg








墓地は少し坂になっている。ようやく歩ける母をカミさんが踏ん張って支えた。
hp 30 恵子さん踏ん張る .jpg









墓地からの帰り道。母の実家のある集落を望む。
hp 32 墓から見える遠景 .jpg



墓地からの帰り道。道ばたの畑に植わっていた里芋。
hp 33 墓への道の途中で里芋の葉 .jpg

実家近くにある母家へ挨拶に行く母とカミさん。
hp 4 母家へ後ろ姿 .jpg









何年かぶりで顔を合わせた従兄弟たちと歓談して、久し振りに屈託のない時間を過ごした。
翌日は、父の実家も訪ね。墓参をし、伯父叔母ともゆっくり話をすることができた。
私が四国で過ごしたのは3歳までなので、現実的には故郷とは言えない。
しかし、伯父や叔母、従兄弟たちと過ごす時間は、ふんわりとやわらかい雲の上に居るような心地よさがあった。

わずか3泊4日の里帰り。
帰りのフェリーも穏やかだった。
hp 41 フェリー側面から前を .jpg


デッキから海を眺める。
hp 42 フェリーデッキから海 1 .jpg


臼杵港が目の前に近づいている。
海面の表情は、いつまで見ていても見飽きることがない。
hp 43 海 さざ波 .jpg




 実家の暖かい歓迎を受けて、90歳の姉の部屋に一緒に寝かせてもらい、夜と言わず朝と言わず、話し続けていた姉と妹。
 法事には近くで暮らしている86歳の妹も出席してくれて、三姉妹が一緒になって存分に話をしたいと言っていた母は、満足してくれたようだった。

 さて、次に実家に帰れる日は、いつなのか。
 家に帰り着いて、くたびれ果てた母を見ていると、少々不安もあるが、早いうちに次の目標を提案して、気力を維持してもらわなければと考える。

 この正月には、春の桜見物に里帰り計画を提案してみるとするか。


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2010年12月12日

大世界興行社企画 本年度第2弾

「忘年会なんか ぶっ飛ばせ! 映画上映会」

巷では、今年を忘れようとする企画が、暗躍する時期となりました。
しかし、「肝心なことを忘れちゃいませんか」という訳で、あの噂の大世界興行社が
またまた、ちょっとばっかりハードな内容の映画上映会を企画しました。

これぞ大世界興行社の真骨頂!!
これを観ずして新しい年はやってきません!!
さあ! 忘年会なんか ぶっ飛ばして、ハードな映画を観ようぜ!!

◎日 時:12月17日(金)午後6時30分 上映開始 (開場:午後6時)
◎会 場:みやざきアートセンター4階 アートスペース1
     宮崎市橘通西3丁目3−27 TEL. 0985-22-3115
◎入場料:1000円(高校生以下無料)前売り券はありません。
     会場受付で現金のみ。
◎主 催:大世界興行社・代表 芥川仁 TEL. 0985-31-6191(問い合わせ先)


【映画上映会プログラム】

「また、また、辺野古になるまで」(2010年/33分)

新基地予定地とされる辺野古や大浦湾の海と暮らし。美しい大浦湾の水中映像。沖縄の人々の闘いと意思。名護市長選挙、9万人の県民大会、普天間基地包囲行動。2004年〜2005年の海上阻止行動の日々。


「One Shot One Kill (ワンショット ワンキル)」(2009年/108分)

米海兵隊ブートキャンプ(新兵訓練所)の12週間の訓練を描く。最初に教えられることは、「口を閉じよ、疑問を発するな」ということ。そして、卒業まで、何万回も同じ事を繰り返す反復訓練。命令に、疑問を持たず直ちに従う人格形成と、考えなくても命令どおりに動く肉体作り。素手で殴り殺し、銃剣で刺し殺し、ライフルで撃ち殺す。沖縄に送られてくるのは、無意識でも人を殺せる技術を身につけた若者たちなのだ。

「藤本幸久監督の話」
映画上映の後、映画の場面を直に見てきた藤本監督が、映画で言い尽くせなかった事実を話します。質問や意見交換もして下さい。

※ 上映会終了は、午後9時30分を過ぎると思います。

来てね!!



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2010年12月02日

鈴木清写真展へ


 鈴木清さんの写真展「百の階梯、千の来歴」を観に行った。
 東京・竹橋の国立近代美術館で12月19日まで開催されている。

HP 鈴木清−1 .jpg

 2000年に亡くなった鈴木さんとは、生前に3回しかお会いしていない。
 数冊の写真集を彼からいただいていた。
 分かりそうで、するりと抜け落ちてしまう感覚を覚えた写真集だった。
 つまり、私は、鈴木清の写真を理解できなかったのだ。

 鈴木清さんは、生涯に8冊の写真集を出版した。「愚者の船」以外は全て自費出版である。自らの頭の中に描かれてある写真集の形を、実物として実現するために、自らの手で作り上げることにこだわったためなのか。

 彼の仕事が、気になっていた。いつか、写真についてゆっくり話し合える機会がほしいと思っていた。
 しかし、そんな機会は来ないまま、彼は旅立った。
 それから10年。鈴木清写真展が東京で開催されていることを知った時、どうしても観ておきたいと思った。

鈴木清写真展の図録表紙
HP 鈴木清−2 .jpg

 写真集となったテーマごとに、一つの塊として展示構成されている。
 そう広くない写真展会場の中に身を置いて、鈴木清を呼吸する。
 どの写真からも同じ匂いが伝わってくる。

 写真集を作り上げていく過程のダミー本が、展示されていた。
 細かな指示が書き込まれたダミーは、それ自体が作品になっている。手の跡がリアルに見えて、鈴木清のこだわりが感じられる。ここまで、写真家が指示するのかと、少し驚いた。
 デザイナーの仕事の領域だと思って、私が遠慮していた文字のスペースやフォントの大きさや色使いまで書き込まれている。これまでの私の写真集造りは、なんと他人任せだったことかと、恥ずかしくなった。

 写真集にこだわる鈴木清の息づかいが聞こえた。
 写真家として、学ぶことの多い写真展だった。

 もっとわがままに、もっと自らの肉体を信じて、写真と向かい合いなさいよと、彼から言われている気がした。
 鈴木清は、私より少し年上だった。しかし、私は、もう彼の歳をとっくに追い越している。
 写真展会場に居たのは一時間ほどだったが、「もっともっと自分の写真を撮らなきゃ」と、ふつふつと意欲が湧いてくるのを感じた。

鈴木清写真展図録から
HP 鈴木清−3 .jpg


 宮崎にじっとしていると、井の中の蛙になってしまう恐怖が付きまとう。
 宮崎に帰ると、写真家の荒川健一さんから「鈴木清写真展図録」が送られてきていた。しみじみと、荒川さんの誠意が伝わった。
 嬉しかった。




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2010年10月30日

携帯サイトで紹介


 ご案内が少々遅くなりましたが、携帯電話のインターネットサイト「Photo&Foto」の「写真家リレー」で、現在、私の写真が30枚紹介されています。「水俣・厳存する風景」「輝く闇」「バングラデシュの砒素汚染」「アフリカ最後の独立国ナミビア」「春になりては…椎葉物語」「生命の惑星 青島」が、それぞれ5枚ずつ掲載されています。

 もちろん、携帯電話のあの小さな画面で見るのです。
 ま、色々問題はありますが、小さいながらもそれなりの鮮明な写真です。

 問題は、携帯電話でなければ見ることはできません。
 また、バケット通信契約をしていない場合は、通信料が多額に掛かります。

 これらの問題をクリアーしている方は、「Photo&Foto」で検索してサイトを訪ねて下さい。色々な写真家が紹介されていますし、写真展情報なども掲載されています。

 くれぐれもバケット通信契約をしていることを確認して下さいね。
 今日は、写真はありません。


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2010年09月07日

写真展「生命の惑星 青島」は終わりました。


hp 写真展「青島」会場 .jpg
 
 9月1日から宮崎県立美術館 県民ギャラリー2で開催していました写真展「生命の惑星 青島」は、無事に終了することができました。思っていた以上に、多くの方々に観ていただくことができ、青島の魅力を再認識していただくことができたようです。
 多謝。

 会場の写真は、観客の多い時間を撮らせていただきました。(念のため)

 「広大な駐車場が一杯になっていて、車を駐めることができないので、すぐそこまできているのだけれど帰るわ。人の肩越しに観らないかんとは大変やから」と、何人もの方から電話をいただきました。
 さぞや、写真展入口は長蛇の列と考えられたのかも知れませんが、実は、隣の芸術劇場で大きなイベントが行われていたようで、いやはや勘違いでした。

 お言葉、お花、電報、ハガキ、お手紙、差し入れなど、多くの皆さんからいただきました。
 搬入、搬出も多くの方から力を貸していただきました。
 ありがとうございました。

 これからも、宮崎の秘めたる魅力を訪ねてぼちぼち歩きます。


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2010年08月25日

写真展「生命の惑星 青島」


 写真集が出版されたのを記念して写真展「生命の惑星 青島」を、下記の要領で開催致します。

雨の日のアオノクマタケラン
hp AOSHIMA 雨のラン .jpg


 会 期:2010年9月1日(水)〜5日(日)
     午前10時〜午後6時(最終日は、午後4時30分まで)

 会 場:宮崎県立美術館 県民ギャラリー2
     宮崎市船塚3丁目210番地
     TEL. 0985-20-3792

 入場料:300円(高校生以下無料)

 主 催:大世界興行社
     連絡先・宮崎市宮田町10-22-103
     TEL. 0985-31-6191


 え! 大世界興行社とは、何か?ということでしょうか。

 ま、話せば長くなりますけど、社長は芥川仁です。
 創業は1977年で、創業の地は伊豆大島です。

 まだ、何か、不明なところがありますか。
 
 そう、そこまでおっしゃるなら、ゆっくり写真展の会場でお話ししましょう。
 

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写真集「生命の惑星 青島」出版


 宮崎に住み、写真を撮り始めて丸30年が過ぎました。
 せっかく宮崎に住んでいるのだから、宮崎の秘めたる魅力を伝えたいと思って撮り始めた仕事に、「百年海起こし・通浜物語」や「銀鏡の宇宙」「春になりては…椎葉物語」などがあります。

 そして、ようやく新しい写真集「生命の惑星 青島」が、地元の出版社・鉱脈社から出版されました。
 小さな本ですが、宮崎の観光地として知られる青島が本来秘めている自然の魅力を、再認識してもらう機会になればありがたいと思います。

hp 青島の本−1 .jpg

 A5大判上製カバー
 148頁・オールカラー
 定価 1680円(税込み)
 申込み:鉱脈社 TEL.0985-25-1758
  Email:book@mippy.jp

せっかくですがから、何枚か、見ていただきます。

繁みの隙間から太陽が差し込みダチュラの葉を照らし出す
hp AOSHIMA 光とチョウセンアサガオ .jpg


青島の真ん中から少し東側にヒギリの群生がある
hp AOSHIMA ヒギリ .jpg

孤高の魂を持つキジバト
hp AOSHIMA キジバト .jpg

ビロウの葉に光が差し込むとそこだけが薄暗い森から浮き上がって見える
hp AOSHIMA ビロウ葉に光 .jpg

元宮様のすぐ前で咲き誇るフウトウカズラの花
hp AOSHIMA フウトウカズラの花 .jpg



最後まで、ありがとうございました。




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2010年08月07日

さんざんだった御蔵島の取材


 原稿の締切は、5日だ。
 リスクが高いのは承知していたが、取材させてもらう「しょめ節」を披露する祭りの日程が、7月30日と31日、それに8月1日と決まったので、それに合わせるより仕方ない。

 おまけに、8月2日から3日間は、全国高総文祭みやざき2010の写真部門の行事に出席することになっていた。どうしても1日の夜には、宮崎に帰り着いてなければならなかったのだ。

 2か月前に行き帰りの航空券の予約をし、宿の手配をした。この時すでに、若干の不安はあった。
 取材先は、東京都御蔵島。伊豆七島の一つだ。
 御蔵島の民宿に、宿泊の予約電話を入れるが、全ての民宿から「この日は島の祭りなので休んでいますから泊めることはできません」と、断られた。唯一、村営の「御蔵荘」だけが、30日の一泊ならば空室があるが、31日は満室。経営をまかされている若い夫婦の奥さんらしき方が、「何とかなると思いますよ」と、言ってくれたので、何とかなるのだろうと思った。
 私としては「行かない」という選択肢は、ない。
 今月号の取材は、他に何も計画をしていないのだから。

 さて、行きは、東京竹芝桟橋から東海汽船の「かめりあ丸」で午後10時20分に出航。翌朝、6時に御蔵島に到着の予定だった。
 そう、だったのだが、チケット売り場の窓口で「明日の御蔵島は、接岸できない可能性があることをご了解の上、お求め下さい」という、条件付きだ。台風も来ていないのに、何事だ。
 なにせ、もう東京まで来ているのだから、条件付きだろうが何だろうが、行くしかない。

 いよいよ、翌朝5時に、一つ手前の島「三宅島」に到着した。
 外は、雨のようだ。ようやく夜が明けかかっている。
 この時点で、すでに「本日の御蔵島は欠航が決定いたしました」と、アナウンス。
 船室には、わずかなざわめきは起こったが、何事もないような雰囲気だ。
 三宅島で下船する大勢の人たちが、荷物を持って下船口へ向かう。

hp 早朝に三宅に到着 .jpg

 三宅島で下船する人々が下り終わった頃に、甲板に出てみた。すでに、船は、桟橋を離れていた。
 船員さんが、タラップを外した下船口の扉を閉めようとしている。

hp 三宅を早朝に出航 .jpg

 予定通りというか、虚しくといくか、すぐ近くの御蔵島を横目に見ながら、我が「かめりあ丸」は、一路八丈島へ向かう。地図で見てほしい。八丈島は遠いですよ。
 雑魚寝で、自分のスペースは畳1畳分しかない2等船室で、ウトウトとしている間に八丈島に到着したようだ。9時20分。

 ここで折り返して、もう一度「御蔵島」へ向かい、三宅島、東京へ帰る「上り便」となる。

 雑魚寝の2等船室の床は、かなり堅い。もちろん、貸し毛布を2枚借りて、1枚は敷いて、もう1枚は上に掛けて昨夜を過ごした。しかし、寝返りを打つスペースもなかったため、腰がギシギシする。
 八丈島で下船する客に混じって、甲板まで出てみた。

hp 八丈に上陸する船内 .jpg

 夏休みの金土日なので、子ども連れの乗船客が多いようだ。しかし、三宅島ほどの客ではない。




hp 八丈に上陸する客 .jpg

 八丈島からの乗船客は、ほとんどいなかった。
 八丈島からは、上り便となるので、チケットの切り替えをしなければならない。つまり、雑魚寝の場所が変わるのだ。上り便は、Eデッキとなった。船底そのものだ。エンジンの振動が、直接背中に伝わってくる。
 出港になるまでのわずかな時間、船内を歩いた。
 八丈島も雨だ。

hp 船からの八丈島 .jpg

 八丈島を出港すると、約3時間半で御蔵島に到着だ。上り便は、天候も回復しているようなので大丈夫と信じていた。
 いつまでも寝てばかりはおられないので、船内を歩き回った。

hp 船の毒ガスマスク庫 .jpg



 現在も火山性ガスが噴き出している三宅島に寄港するために、毒ガスマスクが積み込んである。
 すっかり忘れていたが、三宅島の全島民が避難した火山爆発があったことを思い出した。

 いよいよ、御蔵島に到着する時間が近くなった時、「御蔵島は、上り便も欠航が決定いたしました」のアナウンスが船内に流れた。
 「あーーぁ」と言うような、悲鳴に近い声が、船内の数カ所から上がった。
 しかし、どうしようもない。これが、島というものだ。

 この「かめりあ丸」に乗って、すでに15時間近くになろうとしていた。
 それにしても、このままでは、御蔵島へ行くことさえできない。何とかしないと、連載のページに穴を空けることになってしまう。

 三宅島で下船して、三宅島から御蔵島へ渡る方法を考えなければならない。
 方法は、3つしかない。 泳ぐ、漁船をチャーターする、ヘリコプターに乗る。

 いよいよ佳境ではありますが、疲れましたので、この続きは次の機会にします。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


 え、続きは何時なのかって?
 (私)…………。




posted by jin at 12:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

気が付くとセミの声


 参議院選挙が終わり、14日から根を詰めてやってきた仕事のメドが立ち、ふぅーっと息を抜いた途端に、セミの声が耳に入ってきた。

 梅雨が明けたのか、明けていないのか。
 事務所の窓を開けて、夕暮れの空を見た。まだ、夏の空とは言えないが、仕事の区切りが付いた開放感なのか、事務所から見える狭い夕空を美しいと思えた。

hp 夕暮れ100718 .jpg

 さあて、私の好きな夏がやって来る。
 「今夜は、映画にでも行くか」と、カミさんへ電話した。
 「踊る大捜査線!」


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2010年07月15日

負けました。

 今日も、宮崎の方々へ向けて書きます。

 かなり一所懸命、応援をしたのですが、皆さまがご存じのように、先日の参議院選挙で立候補した民主党公認の渡辺創は、自民党公認の候補に負けました。ここに書きたいことは山ほどあるけど、言い訳がましくなるので止めます。
 ただ、候補者の人柄や彼の政治に対する姿勢や理念が、劣っていたとは思っていません。
 
 選挙というものは、候補者の人柄、政治に対する姿勢や理念だけではどうしようもない力が働いてしまうのだと、思い知らされました。なんだか無性に腹が立ちました。自分自身に対して……。

 渡辺創は、宮崎の地に足を着けて、これからも政治活動をしていく決意を新たにしています。
 次の参議院選挙まで、3年もしくは6年間、浪人をすることになります。「届けるべき声を聴くために」県内を隈無く歩くことでしょう。どこかで彼と会う機会がありましたら、ぜひ声を掛けてやって下さい。
 彼の人柄に触れてやってください。彼の政治姿勢を尋ねてやって下さい。

 必ず、渡辺創を応援したくなってくれるものと信じています。


 今日は、写真はありません。



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2010年06月26日

渡辺創(わたなべ・そう)さんを知っていますか。


 参議院選挙戦が始まった。
 宮崎県では、民主党公認の渡辺創さん(32)と自民党公認の松下新平さん(43)、それに共産党公認の馬場洋光さん(41)の三つ巴だ。
 そこで、今日のブログは、宮崎県民の読者へ向けて個人的な思いを書きます。
 長くなります、すみません。

HP 15 草の上に座って .jpg

 渡辺創さんは、私の30数年来の友人であり、土呂久鉱毒事件の被害者を支援する運動の同志である横井英紀さんの一人息子だ。(名字が異なるのは、家庭の事情があったようで私は関知しない。)

 今回の参議院選挙は、渡辺創さんにとって初めて挑戦する政治家への道。新潟大学を卒業後、毎日新聞に入社。支局の事件担当を経て、政治部へ。民主党の担当となり、幹事長の全国行脚に随行して、全都道府県を廻った。
 全国行脚で感じたことは、地方の街や中山間地域で高齢化が進み、そのためにシャッター通りが増え学校や郵便局の閉鎖が相次いでいることや、流通の仕組みによって農業や林業では食べていくのが難しくなっている現状を痛感。

 その体験からから、渡辺創の選挙スローガンとなっている「届けるべき声がある!」が生まれた。

 渡辺創は、政治部記者として廻った全国の閉塞感が漂う現状を変革するには、もっと直接的に担うことができる政治家の道を志した。昨年末に毎日新聞を退社し、故郷の宮崎へ家族4人で移り住み、今回の選挙準備を始めた。

HP 12 背伸び .jpg

 今、思い返してみれば、渡辺創は高校生の時から政治には人一倍関心が高かったように思う。高校2年生の時の「青少年の主張」で宮崎県大会最優秀賞を受賞した「戦後50年と若者の責務」では、《核に対して核で威嚇するような形が本当の平和であろうか。「真の平和」とは、何であろうか》と、自らに問いかけている。
 又、高校1年生の時の「21世紀に向けての三つの提案」では、《福祉・医療の充実した宮崎》《自然とうまくつきあう宮崎》《生活しやすく、人にやさしい宮崎》になってほしいと提言している。

 高校生の時から、渡辺創の目は、世界平和や地域へ向けられていたのだ。
 もちろん、この社会へ向けられた目は、土呂久鉱害の被害者を支援し続けている彼の両親の生活を見て培われたものなのだろう。

HP 9 夫妻 .jpg

 渡辺創は現在、妻と5歳と2歳の子どもがいる父親である。
 その視点から、教育の問題が渡辺創の大きな課題として浮上しているようだ。
 渡辺創は、教育問題の具体的な自らの課題として、次のように述べている。
 「義務教育の充実が教育再生の土台。教育費の公的支出をOECD加盟国の平均的な水準であるGDP比5%まで引き上げ、「詰め込み」か「ゆとり」かというような議論ではなく、質の向上を図りたい」

 彼は、32歳。だから、次があると言われる方もおられます。しかし、それは違う。
 次の参議院選挙は3年後。しかし、この選挙には、民主党の現役参議院議員がおられるので、渡辺創がその現役議員を押しのけて出馬することは難しい。
 ならば、次は6年後の選挙です。

 若く、志を持ったこの青年を6年間も浪人させるのは、もったいない。
 一日も早く現場を持たせ、現場の声を国会へ届けさせ、希望を持てる社会を作らせなければもったいない。これだけの志を持つ青年は、今回の全国の立候補者の中でもそうはいない。

 渡辺創さんが、30数年間の友人として、土呂久鉱毒事件の被害者を支援する同志として付き合ってきた横井英紀さんの息子であることは、何ものにも代えがたい私の信頼となっています。

HP 14 ポスター .jpg

 民主党公認であることで、躊躇される方もおられると聞きました。
 政党政治の日本ですから、政党を無視することはできませんが、渡辺創がこれから国会議員として活動する上で大切なのは、「本人が、どんな社会を目指しているのか、人にとって何が大切と思っているのか」が、重要であると思います。

 これより以下の文章は、選挙管理委員会から公選法違反の疑いがあるとのご指摘をいただきましたので、7月9日に削除しました。ご理解下さい。


 長くなってしまいました。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




 
posted by jin at 16:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

島バナナ


 事務所で事務をやってもらっているK.S.が、沖縄へ行った。

 お土産が良かった。(ほめておくと、又、次があるかも知れない)
 ビールのつまみ海ぶどう、ちぎって食べるスナックパイン、トーストに付ける胡麻ペースト、それにバナナオープンサンドにのせる島バナナ。私の好みを知っている。

 お土産をもらったのは月曜日。
 その翌朝、さっそくバナナオープンサンドに島バナナをのせて、食べた。渋い。
 それでも、熱いトーストの上にのせていたら、ほんの5分くらいで渋みが消えた。ねっとりではなく、さっぱり系の果肉だ。ナイフで輪切りにすると、サクサクといった感じで切れた。

 さて、それから2日間我慢して、今朝、もう一度、島バナナのバナナオープンサンドを試した。最初の一口は、おそるおそる口に運んだ。さっぱり系の食感は変わらないが、渋みはまったくなく、甘さも乗ってきている。アボガドと合わせて食べてみた。二つの果物の食感の違いが、新鮮な出会いを感じさせた。さらに、そこへ、胡麻ペーストを付けてみた。少し、くどくなった。胡麻ペーストを付けるならば、アボガドはいらなかった。
hp 島バナナ .jpg

 今朝は、朝からトーストの上を試行錯誤して、疲れた。






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2010年06月07日

午後の光


 呑気な話で恐縮なのだが、昨日の日曜日は、事務所で原稿書きなどをしてゆっくりと過ごした。午後3時過ぎに気付くと、事務所の片隅に、前のビルの窓ガラスの照り返しが入ってきてきて、光が美しかった。
 COFFEEを呑みながら、しばらく光の移りかわりを眺めていた。

hp 事務所の一角100606 .jpg

 夜は、7月の参議院選挙に民主党公認で立候補を予定している渡辺創さんの「わたそうミーティング」に出席した。創さんのひたむきな訴えに好感を持った。

 ちょっとだけ脳みそが疲れた一日だった。



posted by jin at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

種のあるバナナ


 いつもの通り今朝も、バナナオープンサンドを食べながらカミさんと話をしていた。

 私:「今朝のバナナは、もっちりしていて味にも濃くがあるね」
 カミさん:「あんたもバナナの味が分かるようになったね。こんバナナは、特別なバナナよ。いつもバナナを買う八百屋で、高い方を買うたつよ。6本で460円。プレシャスというシールが貼ってある高級品よ。他の人やったら、こんげ高けえバナナは絶対買わんわ」
 私:「じゃかいやわ。こりゃいいわ。たまには種のあるバナナも買うたらいいとに。もっちりしててうめっちゃが」
 カミさん:「種のあるバナナがあろか。私を騙そうとしても、そんげな嘘にはだまされんわ。そんげな嘘を言いよったら、恥かくよ」

 世の中に、種のあるバナナを知らない人がいることに驚くと同時に、種ありバナナの旨さを知らないで過ごしてきた62年間のカミさんの人生を思うと、もぞなぎーぃ(宮崎の方言:切なく愛おしいの意)。

 これは、何としても種ありバナナを食べさせてやらなければと、切に思ってしまった。今年11月には、事務所の研修旅行で台湾へ行く予定なので、その時にと、堅く心に誓った。

 宮崎では、口蹄疫の被害が収束せず、農家だけでなく一般商店の営業や様々な生活の中にも、その深刻な影響は大きくなっています。募金箱に少しのお金を入れること以外に何もできないもどかしさを感じながらも、こんな時だからこそ俯いて暮らすのは良くないと思い、今朝の我が家の朝食風景を実況掲載いたしました。

 写真はありません。本当は、今朝食べたプレシャスバナナを見せたかったちゃけど。

posted by jin at 09:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

新しいオリーブオイル from yoshida

 
 今朝、私が、今もっとも力を入れている仕事の編集が始まる。
 気合いを入れるために、新しいオリーブオイルの封を切った。
 国際詐欺師吉田のお土産で4月末にもらったものだが、彼は「スペインのオリーブオイルを持参しました」と、言っていた。しかし、今朝、その瓶をゆっくり見ると、ラベルの下の方にどうやらアラビア文字らしきものが書かれている。イランかイラクのものだと思う。

 旨い。濃い緑色を湛えた粘りの強いオイルだ。欲を言えば、舌の奧に残る苦味が不足している。ま、それはおいても、パンは何倍にも風味を増し、しっとり美味となった。
 もちろん、今朝も、バナナオープンサンドであることに変わりはない。
 
 写真の背景に見えるヒマワリの柄が入っている容器は、chiyokaさんからいただいたイタリア土産で、オリーブオイルを注ぐためのものだ。このオリーブオイル差しがあるだけで、朝の食卓は明るく華やぐ。

hp 0513 吉田のオリーブオイル .jpg

 弁当を持って出かける時のことだ。
 以前にバングラデシュで誂えたベストを、今朝初めて着た。その姿をカミさんが撮影してくれたのだが、あまりにもトロい撮影に、心ならずも不機嫌な顔になってしまった。撮影は瞬時に終わらせよう。我が表情を見て、人物を撮る際の心構えを改めて思い出した。

hp 0513バングラデシュのベスト .jpg

 編集作業で息が詰まりそうな時間が過ぎていく。
 ふーぅと、ひと息入れて、さあ、後半へ突入だ。


posted by jin at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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