2007年06月23日

沖縄慰霊の日


 今日は、沖縄慰霊の日。20万人にも及ぶ戦死者を出した沖縄地上戦の組織的戦闘が終わった日なのだと言う。20万人の戦死者のうち半数近くが一般住民というから、どれほど悲惨で深刻な戦闘が繰り広げられたか想像できる。

 今朝のニュースによると、3月30日に文科省が発表した「沖縄戦における集団自決に軍が関与していた」箇所を削除する高校教科書検定結果に対して、昨日、沖縄県議会が、「文科省の検定結果を撤回し、元の記述に戻すように要求する意見書」を議決した。
 意見書は「集団自決は日本軍による関与なしに起こり得なかったのは紛れもない事実」と指摘している。

 事実をねじ曲げ、沖縄県民の体験の声を踏みにじる教科書検定を決定する文科省は、一体何を考えているのだろうか。あまりにも幼稚。権力の横暴。これから20年間も、「沖縄の集団自決に軍の関与はなかった」と記述した教科書を使い続ければ、歴史として定着するとでも考えているのだろう。あまりにも浅はか。国民をバカにしている。

 沖縄に心を寄せる一人として、沖縄県議会の議決を支持します。
 文科省は、3月30日の高校教科書検定結果を撤回しなさい。

 しかし、文科省も政府も、ここでブログに書いていても痛くも痒くもないだろう。
 これまでも、腹の底から煮えくりかえるような怒りは何度もあったが、結局、その怒りを行動に移すことができないまま、時間が経つとともに怒りは鎮まってしまった。見透かされていると思うと、何とも持って行き場のない怒りが、(自分自身に対する怒りも含めて)新たに湧き起こる。

 日本には、市民運動はなくなったのか。社民党、共産党は、何をしているのか。政治家に良心はないのか。持って行き場のない、怒りは、巷に渦巻いているというのに。その受け皿は、どこにもない。勉強会ばかりが流行っている。
 憤死しそうだ。
 宮崎県議会は、沖縄県議会の意見書を支持する議決を直ちにしなさい!!

 


posted by jin at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

アパートの子ども

 日曜日の朝、事務所に出勤しようと駐輪場の脇を通りかかったら、同じ公団アパートの小学生がシートを敷いて、お絵かきをして遊んでいた。シートの前には、愛着のある玩具が無造作に置いてある。「いいな!」と思った。

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 さて、問題はここからである。
 「写真を撮らせてね」と、カメラを取り出したら、「いやだ!」と、言下に言う。
 まったく予想しない反応だったので、少々驚いた。
 「なぜ、いやなの?」と聞いたが、それには答えず「何に載るの?」と、聞いた。
 「おいちゃんのブログ」「ブログに載るのがいやだ」
 ここで、1枚シャッターを押した。(上の写真)
 「なんでブログに載るのがいやなの」「いやだ」
 ここまで会話して「ありがとう」と、その場を去った。

 この写真を載せるかどうか、迷いながら事務所まで歩いた。
 この写真を載せようと載せまいと、私には何ら関係ない。 
 当初は、近所の子供たちが集まって、お絵かきをする場面は「おままごと」の雰囲気を持っていて、「まだ、こんな子供たちが宮崎には居るのだ」と、小さな感動を伝えたかったのだが、そんな気分ではなくなっていた。
 ましてや、彼女たちにも何ら関係ない。
 しかし、私はこだわった。
 子どもたちの「載せるな」という意思は、尊重すべきだ。
 でも、私はここに掲載した。
 公の場で遊ぶ子どもたちの姿さえも撮影できない社会は、歓迎できる社会なのかと考えたからだ。ここに掲載したからといって、彼女たちに何らかのマイナスが生じるとは思えない。

 もちろん、彼女たちは、私が何者なのかを知る術はない。
 もし、地元紙宮崎日日新聞社のカメラマンが来て、「写真を撮らせて」と頼んだら、彼女たちの反応は異なったのだろうか。テレビ局のクルーが来て「撮影させて」と頼んだら、彼女たちの反応は異なったのだろうか。
 もし、このブログを読まれているあなたが、「それは当たり前だろう」と考えられたなら、そう考えられた根拠は何かを教えてほしい。

 私は、フリーランスで38年間、写真を仕事として撮ってきた。そのことと、今朝の私のこだわりが無関係だとは思わない。思わないが、そのこだわりは、私の職能としてのこだわりより、得体の知れないものを排除しようとすることが当たり前に感じられる社会への反発である。
 ある意味で、権威的な発想が背景にあると思う。

 そんな事まで言わなくても、
 ただ「知らないおいちゃんに付いて行ったらだめよ」と、親や先生から言われているのだから、と言うことなのかも知れない。数ヶ月前のニュースで変質的教師のブログに掲載された少女たちの写真が問題になったこともあった。
 
 分かった上で、尚、私は、今朝のこの写真の一件にこだわる。
 まず排除する世の中よりは、まず歓迎する世の中を良しとするからである。
 長くなってしまいました。
posted by jin at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする