2012年03月12日

一年目の3・11


 この1年間、意識の中に、3・11が浮き沈みしていた。
 昨日は、それまでの二日間ほど胃の調子が悪く寝込んでいたが、昼過ぎから事務所に出かけた。
 県庁正門前を通ると、門柱に喪旗、正面の国旗は反旗になっていた。全国で東日本大震災の被災者へ追悼の気持ちを表したことだろう。
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 寝込むまでの4日間は、仕事のために上京していたので、何か腑抜けになっている感じがする。事務所で少し仕事をした後、大淀川の河川敷へ行った。
 昨夕は、宮崎に強い西風が吹き胴震いするような厳しい寒さだった。河川敷で開催された「さよなら原発」の集会に集まった約1000人は、ともかく寒さに耐えていた。
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 壇上で何かしゃべれと言われて、壇上に上がったものの、寒さで口はまめらず、寒さに耐えるだけで、ほとんど聞いている人がいるとは思えない状態。ちょっと言い訳しているが正直に言えば、しどろもどろ。
 本当は、飯舘村の村民歌を紹介したかったのだが、それさえも忘れていたので、ここに紹介します。

 福島県飯舘村村民歌
 
 山 美わしく
 水 清らかな
 その名も飯舘 わがふるさとよ
 みどりの林に 小鳥は歌い
 うらら春陽に さわらび萌える
 ああ われら
 今こそ 手と手 固くつなぎて
 村を興さん 村を興さん

 1番だけにします。
 飯舘村は、「までいの村」をスローガンにしている村で、「までい」とは、両手を合わせるという意味。「丁寧に」とか「心を込めて」とかいう思いを込めているそうです。
 その飯舘村が、福島原発による放射能汚染で計画的避難区域に指定されて、全村民が避難しなくてはならない現状。
 許せますか、こんなことが。

 壇上で、私の次に話しをされたのは、串間市で脱原発に半生を捧げてこられた川崎永伯さん。
 「寒いから私の半生を3分でまとめます」と、笑いを取って、力強い挨拶。
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 ほとんど暗くなってから、九州電力宮崎支店前までキャンドルパレード。
 強風のため、ともかくロウソクの火が持続しない。「チャッカマン持っちょりやらんですか」と、周りの人に何度聞いたことか。宮崎の一番の繁華街デパート前交差点で一枚。
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 寒かった。全国で、同じ思いの人たちが何かをしたことだろう。
 一年という時間で区切る必要はないかも知れないが、区切ることで連続性が生まれることもある。
 ともかく忘れまい、3・11。

 実は、まだ胃の調子が悪く、仕事に熱が入らないけど、この3月末までは、全力熱中月間と命名した。
 前へ、前へ、だ。



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2012年02月13日

津軽から帰りました


 ご無沙汰をしていました。
 ブログの更新は怠っていましたが、目の前の仕事に追われていただけで、元気です。
 気に掛けてくれていて「どうしたのかずっと気になっていて、いよいよ気になったから電話したちゃが」と、嬉しいような、申し訳ないような電話をいただいたので、さっそく更新。

 1月の中旬と2月の初旬に、津軽へ行っていました。4日前、宮崎に帰りました。
 ちょうど豪雪ニュースの最中だったので、カミさんは泣いて「行かないで」と、袖を引いて留めるし、出発の日にアパートのエレベーターで一緒になった11階の顔見知りの婦人は、「あんた、こんげな時に行かんでん、暖かくなってから行きない。行ったら、もう帰って来られんよ」と、真顔で心配してくれた。

 さて、津軽ですが、確かに、例年の1.5倍の積雪とのことで、道路の脇は高さ2メートル弱の雪壁。もちろん、南国育ちの私にはレンタカーの運転は無理。移動はタクシーにならざるを得ない。財布からお札がどんどん飛んでいく津軽。

 東京で新幹線に乗り換える前に、ユニクロでダウンの防寒着上下を購入。厚手のセーターも持った。フリースの上着も持った。ヒートテックの下着は宮崎でも使っているので、準備は万端だと思っていた。ところが、弱点は足だった。長靴は持って行った。少し厚手の靴下も持って行った。それでも、寒さは、足から来た。

 津軽には、2重構造の長靴なるものがある。長靴の内側に、ボアの付いたインナーが入っているのだ。よしんば雪が入ったとしても、インナーだけを外してストーブで乾かせば良いのだと、津軽人は自慢げに教えてくれた。津軽の取材が終われば、2度と使わないかもしれない2重構造の長靴。「買うか買うまいか」。そんなためらいは一瞬もなく、出会ったばかりの津軽人を説き伏せて、車に乗せてもらって靴屋へ急いだ。寒さを我慢してても良い写真は撮れない。

 津軽にもイオンがあった。青森県で一番の売り上げを出すイオンだそうだ。脇目もふらず靴屋へ急ぐ。「2重構造の長靴くんない」。店員さんは「?」。宮崎弁が通じないのかも知れないと思ったので、店の前を通りかかった2重構造の長靴を履いた男性に訳を話して引っ張ってきて、長靴を指さした。これで、店員さんに意味が通じた。「この手の長靴は、シーズン始めに売り切れて……」と申し訳なさそうに言う。「それに代わるなんかねえつや」と、食い下がる。「お客さんが履いておられるのは、春から秋用ですもんね」と、気の毒そうに言う。奥に引っ込んで店員さんが持って来たのは2重ではないが、内側にボアが付いている長靴だ。「これに厚手の中敷きを入れると、相当暖かいですよ」。「これでいいわ」と即決。中敷き込みで3970円(すでにバーゲン価格になっていた)。津軽でも、宮崎弁で買い物ができた。
 これで、良い写真が撮れるかも知れない。撮れるはずだ。撮れるに決まっている。

 確かに、それからは寒さ知らず。頭の上から落ちてくる枝に積もった雪を潜り抜けながら、初めて履いたカンジキで雪原を自由自在に歩き、1週間で、およそ2000カットの撮影終了。仕事で撮影したこれらの写真は、今、皆さまに見ていただくことができません。
 札幌、東京、名古屋、大阪、福岡にお住まいの方は、3月8日の新聞折り込み「季刊新聞 リトルヘブン」23号をご覧下さい。
 それ以外の地区にお住まいの方は、このブログのコメントに「リトルヘブンを読みたい」と書いて下さい。直接お送りします。
 リトルヘブンの既刊号は、http://www.3838.co.jp/littleheaven/ で読んでいただくことができます。


 雪の写真が1枚もないのでは、サービス精神に欠けますので、取材が終わった帰りに、弘前から新青森まで乗った特急「つがる」の車窓から撮影した風景を……。
 こんなんでお茶を濁して、すみません。

弘前駅からすぐの町外れ。
特急「つがる」から 1 .jpg

街並みはすぐに無くなって、見渡す限り雪の原。小川の筋が、辛うじて風景に変化を付ける。
特急「つがる」から 2 .jpg

リンゴ園も雪で埋まっている。リンゴの木に積もった雪をこのままにしておくと、雪の重みで枝が裂けるのだそうだ。取材先のリンゴ農家は、この雪の中で、リンゴの木の雪下ろしをしていた。
特急「つがる」から 3 .jpg

どこまでも続く雪原の中に、少しでも形があるものは愛おしい。
特急「つがる」から 4 .jpg

街らしい雰囲気が出てきた。間もなく新青森の駅に到着します。色のない世界ばかりに目を懲らしていたので、踏切の赤い信号が嬉しく思えた。
特急「つがる」から 5 .jpg

 今日は、ここらで失礼します。
 心配してくれる友が居ると思うと、余計な心配を掛けないようにブログを更新しなくては。
 え、本当……?。




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2011年12月31日

良い年をお迎え下さい


 巷では、今日の大晦日「良い年をお迎え下さい」の言葉が言い交わされた。
 自分独りでは生きていけない。ささやかな出会いの人々も、私の人生の一齣を作ってくれた。
 そんな思いを込めて、心から「良い年を」と言葉を交わす。

 今年の暮れも沢山の方々から、贈り物が届いた。ひしひしと有り難い。
 先日の朝食から名脇役を果たしているのが、パルトリニエール ゴルゴンゾーラピカンテ ナチュラルチーズだ。私の朝食は、時折イタリアから届くオリーブオイル、ナチュラルチーズ、生ハムなどによって彩られている。
 
 夕食を彩っているのは、延岡市土々呂の金井水産のちりめんじゃこ。これがあれば、他におかずは要らないというほどの旨さだ。それに対抗するのが、岡山県の自然薯だ。長さ1m20センチほど。まったくの自然物なので、掘り出すには相当の注意力と忍耐が必要だったろう。それに2日遅れて、高千穂町土呂久からも自然薯が届いた。これは少し短めだったが、それでも80センチはある。掘り出す方々の姿を思い描くと、おいそれとは食べられない。

 福島県の取材から帰ったら、山形県朝日町からリンゴの「ふじ」が二箱も届いていた。一箱は、季刊新聞リトルヘブンの創刊号で取材をさせていただいたリンゴ生産者の志藤さんから。もう一箱は、やはりリトルヘブンの創刊号で料理の取材をさせていただいた安部さんから。もう5年も前に取材をさせていただいたのに、忘れずに心配りを頂く。こちらの方が、お世話になったのにという思いがあるにも係わらずだ。有り難い。しかし、ちょっと恐縮。それにしても、美味い。

 その後に届いたのが、愛媛県今治市のミカンと柿と新米。叔父が作った農作物だ。このミカンが、何と美味い。店では、こんな美味いミカンを買うことができない。柿は、大きなあたご柿の渋抜き。大砲の弾のような形をして、両手で包み込むように持つほど大きい。新米は、まだいただいていない。その前にいただいた山口県周南市の新米が、まだまだあるからだ。

 美味しい米に合うのが、伊豆大島から届いたムロアジのクサヤ。アパートに帰ると、エレベーターに乗る前から、「あ、今夜はクサヤだな」と分かるほど、そこら辺じゅうに、あの独特の匂いが充満している。宮崎の人は、ほとんどクサヤを食べないので、あの匂いを何と思っているのだろうか。恐ろしくて、聞くに聞けない。

 その後は、四国続きだが、香川県伊吹島からイリコが届いた。小指ほどの大きさで丸々していて肌が銀色に輝いている。正月が近くなって、またまた四国の愛媛県今治市の(株)魚定のかまぼこが届いた。同じ日に、日南市のポンカンと奄美大島のポンカンが届いた。
 同じ日に、沖縄県粟国島から自然塩が届く。この塩でおにぎりを握ると、これが美味い。いや、何に使っても美味い。塩の味が、作り方でこうも違ってくるのかと思い知らされる。

クリスマスの朝、宅配便が届いた。仕事の相棒である阿部さんからのプレゼントだ。見たこともない高級なチョコレート。愛とは言えないけど、気持ちが籠もる。

 我が家の食料庫に入りきらなくなって、何とか早くいただこうとすればするほど、こんな贅沢をして良いのだろうかと、自責の気持ちが湧いてくる。「こんな贅沢な食事を続けていたら、いつかきっと罰が当たるぞ」とカミさんと言いながら、腹一杯いただく。
 いよいよ年の瀬が押し迫って、事務所の大掃除をしながら、年賀状の宛名印刷に手間取っていたら地元放送局の友人が「1年間のお礼に」とワインを持って来てくれた。これで、又、新年の楽しみが増えた訳だ。

 今朝、両親の家の大掃除の手伝いに出かけようとしていたら、玄関のチャイム鳴った。カミさんが玄関へ出て行ったと思ったら、「わぁーすごいよ、ジン、これ見て」と受け取ったのが、贅沢カニ鍋セットだ。娘夫婦からのお歳暮だった。大晦日の夜は、二人でカニ鍋をどうぞという趣向なのだ。心憎い演出に感謝。

 そうだ、そうだ。ブログを書いているような時ではない。
 早く帰って、贅沢カニ鍋セットを食べよう。今夜は、久しぶりにひれ酒とするか。

 そんな訳で、今年一年も多くの方々に支えられ、何とか過ごすことができました。
 感謝に堪えません。ありがとうございました。

 皆さま、健康で良い年をお迎え下さい。
 


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2011年12月23日

福島から帰りました


 昨夜、福島県飯舘村から帰りました。
 3・11の大震災を自らの記憶とするために、わずか5日間だったが、福島県を訪ねていた。

 椎葉村で知り合った多文化音楽研究者の降矢美彌子さんと福島市で会い、震災後の現状について聞いた。
 放射能汚染の問題は、色もなく匂いもないために、日常生活の中で意識が薄れがちになる危機感について。逆に、放射能汚染の問題が、いつも意識の片隅にあるため、精神的な苦痛が累積していく心労について。

 避難所や仮設住宅ではなく、自宅で生活し、以前と同じように仕事をしている方々にとって放射能汚染の問題は、目の前に突き付けられないだけに、別の難しさを孕んでいると思った。福島市内で、夕食の店を探して歩いていると、忘年会シーズンということもあって、駅前の居酒屋やレストランなどは、ほとんど満席。福島市内がどれ位の数値で放射能に汚染されているのか分からないが、夜の街を歩く人々の表情からは、その不安を読み取ることはできない。

 12月23日の福島市の放射能濃度は、0.96マイクロシーベルト。3・11以前は約0.04マイクロシーベルトだったようなので、24倍の放射能汚染になっているが、このことが、どれほどの危険性を持っているのか、私には分からない。

 翌日は、第12回ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎に作品を展示していただいたいわき市在住の写真家高橋智裕さんに、いわき市の海岸を案内してもらった。がれきが山積みの状態はほとんど無くなっていたが、土台だけが残る広々とした住宅地には、人影も見えず、復旧、復興までの道のりの遠さを想像させた。

 豊間海岸の墓地では、倒れた墓石の下の納骨堂に入って作業をされている人が居た。津波で流されなかった土葬の頃の骨を集めて、お寺で供養してもらうのだと言う。ビニール袋に入った長さ30センチほどの遺骨を幾つか発泡スチロールの箱に入れて封をし、軽ワゴン車で持ち帰っておられた。あまり深く聞き取るのは気が引けて詳しくは聞けなかったが、彼は、サンマ船の漁師で、現在、神奈川県に居る。先祖の骨を持ち出すということは、今後復興しても豊間海岸の家に帰る気はないのかも知れない。

 海岸線を北上し、立ち入り禁止となっている福島第一原発から20キロのゲートまで行った。原発から南の海岸線では、津波による被害が続き、家々が建ち並んでいたであろう集落は、ことごとくコンクリートの土台だけを残して、広々とした無残な光景が続いた。津波から逃れた家の人が、ほとんど車の通らない国道6号線を、犬を連れて散歩をされている姿を何回が見たが、「近所が無くなって、することもなく寂しい」と話す。

 その翌日から3日間は、村民全員が避難している飯舘村を歩いた。
 現在、福島市役所飯野支所に間借りしている飯舘村役場の生活支援チームの情報では、8世帯10数人が村内から避難せずに自宅で生活している。個人情報だからと、現在も、村内で生活している方の名前や住所を教えてはもらえなかったが、レンタカーで村内を走り、車の止めてある家、犬や猫のいる家などを訪ね歩いて、ようやく避難しないでいる一組のご夫婦と、たまに自宅に帰って泊まるという方に話しを聞くことができた。

 (この続きは、後日書きます)



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2011年11月30日

ふたたび贅沢な朝食の日々


 お歳暮としてイタリアの生ハムとイタリアンナチュラルチーズを大量に頂いた。
 今年は、後一か月。60歳代も半ばに差し掛かっている。すでに、入っている。
 誰に遠慮がいるというもんだ。
 いや、何も、そんな神国(あ、いや、間違えた)深刻に言わなくても、良いのだが、ふたたび贅沢な朝食の日々が始まった。
 どうぞ、午前7時前に来ていただければ、ご一緒に。

朝食 111130 .jpg

 出歩く仕事が多かったため、ご案内が遅くなりましたが、

 第12回「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」が、
 宮崎県立美術館 県民ギャラリー2 で開催中です。
 12月4日(日)午後4時まで。入場料:500円

 今回は、特別企画として「東日本大震災」をテーマに二人の写真家が作品を展示しています。
 震災翌日から空撮を始め、その後も愛犬を連れて車に寝泊まりしながら、連続60日間も現地を取材した写真家の石川梵さん。
 福島県いわき市在住で、自らも一旦は津波に流されたが奇跡的に助かったフォトジャーナリスト高橋智裕さん。

 テレビ、新聞を始め多くのメディアで報道された東日本大震災ですが、写真家の個的な視線で見る大震災、津波の被害は、改めて、私たちを被災者の心情に寄り添わせてくれる力を持って呼びかけてきます。「3.11」から9ヶ月を経ようとしている今、もう一度、東日本大震災を心に刻む機会となるでしょう。
 戦後日本のターニングポイントとも言える「3.11」を私たち自身の歴史に刻むためにも、ぜひ、ご来場下さい。



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2011年11月01日

東松照明「太陽へのラブレター」


 現在、沖縄県立美術館で開催されている東松照明と沖縄「太陽へのラブレター」を観に、沖縄へ一泊二日の旅。
 1、敗戦日本の原風景 2、占領シリーズ最後の地「沖縄」 3、さびしさを思想化せよ(太陽の鉛筆) 4、カラーへの転換(南島)(光る風) 5、写真はイメージで綴るラブレター(琉球ちゃんぷるぅ) の5つのパートに分かれた240枚の写真展。

hp 沖縄県立美術館 外庭-2 .jpg








 これまでに、東松さんの写真の中では最も影響を受けた「太陽の鉛筆」は、懐かしさと共に沖縄の離島の人々への情を感じて、胸が熱くなる。清々しい風の吹くような写真展だった。

 シンポジウムで沖縄の若い写真家たちの発言を聞いていると、東松照明の残した影響がじわりと染みだしているような気がした。東松さんは撮影をするだけでなく、地元の人々と交わり、共に考え、自らの作品へも反映させていることが窺い知れる。
 淡々とした作風にも共感した。

 東松さんは体調が良くないとのことで、シンポジウムは欠席。今回は、東松さんの話が聞きたいと思って出かけたので、少しがっかり。
 「さびしさを思想化せよ」というタイトルが付けられたシンポジウムだったので、とても関心を持っていた。詩人吉増剛造さんとの対談の予定だったが、吉増さんの一人舞台となった。
 しかし、生意気のようだが、吉増さんは東松さんの「さびしさ」の視点を読み取っておられないように感じた。


 さて、その夜は、沖縄を訪ねた時には必ず会う友人の田平くんとゆっくり話した。
 彼の沖縄生活は、学生時代を入れると28年間、小学校教員を止めて沖縄へ渡ってからでも23年間が過ぎたそうだ。
 その間、一度の引っ越しもせず同じアパートに暮らしている。ずいぶん以前には、彼の部屋に泊めてもらったこともある懐かしい部屋だ。もちろん風呂はない、シャワーだけ。沖縄といえども、冬もシャワーだけでは暖まらないだろうと思って、どうしているのか彼に聞いた。

 「同じアパートの住人が引っ越しする時に捨てていったベビーバスがあったちゃが、それを拾ってきてベビーバスに入っちょるとよ。これがいいつよ。もちろん、全身をゆっくり湯に浸けることができんかい、最初に、膝を曲げて座って腰から脚の方を暖めて、脚の方が暖まったら、ずるずるとずり下がって肩まで浸かるとよ。脚は湯から出ちょるけど、肩が暖まったら、又、ずるずるずり上がって脚を温めればいいかいね。それに、ベビーバスに入りながらごしごし洗濯をするかい、そのうち全身が温まってくるわ。夜寝るとは8時ごろやかい、午前3時には目が覚むっと。外は真っ暗やけど、それかい朝風呂。鳥より早起きじゃかいね」
 
 「アパートの電気メータを2、3年に一回取り替えにくるから、なんでかなと思ちょったけど。最近分かったつは、うちの電気使用量があまりに少ないから沖縄電力は、メーターが壊れちょると思ったちゃないかと思うとよ。毎月電気代は1600円くらいじゃかい。電気冷蔵庫は持っちょるよ。それが又、いいとよ。あん冷蔵庫の後ちゅうとは、洗濯もんを干すとにいいて知っちょりましたか。壁と冷蔵庫の後に隙間を作って、壁に3本くらいフックをネジ込んじょって、そこに洗濯もんを掛けちょくと、冬でん、手で絞った厚手のズボンも一日で乾くっちゃが」

 田平くんの沖縄生活は、皆が見習うべき省エネ生活だ。

 しかし、私が止まった沖縄第一ホテルは、移転新装なったばかり。広々とした部屋には台所も付いていて、バスルームだけでも4畳半くらいあった。朝食は、噂の沖縄の薬草を使った健康朝食。泊まり客ばかりでなく、外からぞくぞくと朝食だけを食べに客が来ていた。
 電話番号を書きますので沖縄で泊まるならば、沖縄第一ホテルへ。098-867-3116

2階の部屋の入口。マンションの一室みたいな感じで、チェックインの際に部屋の鍵を受け取るとチェックアウトまで自分の部屋のように自由に出入りする。

hp 沖縄第一ホテル 1 .jpg








部屋の中。一人で泊まったが案内されたのはツインの部屋。ミニキッチンも付いていて、長期滞在にも対応するようだ。大きな机があるのも魅力的だった。(写真に机は写っていないけど)
hp 沖縄第一ホテル 部屋 .jpg






噂の朝食。
hp 沖縄第一ホテル 朝食1 .jpg






hp 沖縄第一ホテル 朝食2 .jpg








帰りに空港までモノレールに乗ったら、ハローウインで子どもたちが仮装して乗っていた。かわいい。
hp 沖縄 モノレール .jpg






明日から一週間は、奈良で取材のため留守にします。






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2011年10月28日

水俣から帰りました


 水俣の取材から帰りました。
 時間が取れた時に、自分の都合だけで水俣を訪ね、取材をさせていただける患者さんたちの撮影をしている。訪ねれば必ず収穫がある。風景も良かった。明神岬の風景は、79年に初めて水俣を訪ねた時から好きだった。いつ行っても、水俣の原風景を感じさせてくれる所だ。

 事務所に帰ったら、作業机の上に米袋。切手が直に貼り付けてある。以前、取材でお世話になった方から届いた新米だ。ありがたい。
 私の方がお世話になっておきながら、何のお礼もしていないのに、ご厚意に甘えるばかりだ。

米を切手で .jpg

 
 予定していた撮影が、延期になった。
 外は雨。
 ゆっくりとした時間が過ぎていく。



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2011年10月23日

お得です。


 今、世間には「お得です」が、溢れている。
 「こちらの商品がお得になっています」
 「この企画は、これまで以上にお得なプランです」

 買い物に行く、事務所へかかる営業の電話、CMのキャッチコピー。
 どこでも誰でもが、「こちらがお得です」と、さも特別な情報をあなただけにお伝えします、と言うような口調で繰り返す。

 えーい!!!うるさい!!!

 俺は、損得で生きているんじゃねぇ。
 どっちが得であろう損であろうと、俺には関係ない。
 ほっといてくれ。

 少し前のことだが、私の写真をお世話になった方にプレゼントすることになったので、額を見つけに画材屋へ行った。
 少し大きめのプリントを持参して、写真を見せながら「この写真に合う額が欲しいのですが……」
 若い店員さん、しばらく写真を見て、店の奥から数枚の額を持って来てくれた。しかし、どうみても私の写真に合う色や縁の柄ではない。私が納得しない表情をしていると、しきりに店員さんが薦める。
 「こちらの額がお安いですよ」
 「こちらの額は、特価になっています」
 私が浮かない表情をしているのを見て、店員さんは、奥からさらに数枚の額を持って来た。
 「こちらの方がお得になっています」
 「こちらは、在庫が一枚限りとなっていますので、さらにお得になります」

 その間、黙って店員さんの話を聞いていた私は、堪忍袋の緒が切れた。
 「うるさい! あんた俺をなめてんのか! 俺がいつ安い額をくれ、と言ったか。わざわざ写真を持って来て、この写真に合う額を見つけてくれと言っただろう。あんた額屋さんの店員だろうが。この写真には、この色の縁が合うと思いますとか、縁の幅はこれ位が良いのではないでしょうか、この額縁の材質は何で出来ています、というような提案はないのか。これが安いですよ、これがお得ですよ、ばっかり言いやがって。客を馬鹿にするのもいいかげんにしろ」

 画材屋の店員さんは、言ってみれば専門職だ。
 それが、この無様さ。
 この時から、「お得です」と言う言葉に、強く拒否反応を起こすようになったようだ。

 日曜日の朝、遅い朝食をとり、何気なくテレビを見ていると、CMで大声で繰り返す「お得です」に腹が立って、そのままの気分で事務所に出てきたため、今日仕上げなければならない原稿を書く気分になれず、ついブログで怒ってしまった。

 あなたは、損得で人生を送っていますか。
 「お得です」を売り物にするようなメーカーの商品は買わないでほしい。
 
 寄って集って「お得、お得」と、叫びやがって、
 えーい!!!うるさい!!!俺の人生をなめんじゃねぇ。

 静かでゆったりとした時間が流れるはずの日曜日。
 テレビごときに翻弄されて、自分で自分の心をかき乱してしまった。



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2011年10月22日

64歳


 今日、64歳の誕生日を迎えた。
 土曜日なので、今朝は暢気に朝風呂に入り、時間を掛けて新聞を読んでいると、娘夫妻からのプレゼントが宅配便で届いた。

 子どもたちが幼かった頃、私は食べていくこと自体に切羽詰まっていて、世間の親のような子どもとの付き合いは、まったくしてこなかった。遊園地や動物園に連れて行ったことは一度もない。山登りや海水浴へ行ったことも一度もない。ただ、自分の写真のことだけを考えていた。そのことを子どもたちから責められたことはないが、今、切なく申し訳ない気持ちで、子どもたちの幼い頃の顔を思い出す。

 なのに、子どもたちは、こんな親でも、思っていてくれることがしみじみと伝わってくる。
 今からでも、40に手が届く年齢になった子どもたちを抱きしめてやりたいが、なかなかそれも叶わない。
 「お父さん、気が触れたのじゃないの」と、思われるのが関の山だ。

hp 64歳 誕生日プレゼント .jpg





 ありがとう。



hp 64歳プレゼント .jpg

 50歳の誕生日に、65歳が定年と定めて仕事の計画を作った。
 残すところ1年間。全然だめ。
 まだまだ、計画して残っている仕事が、山とある。
 定年なんて決めないで、がむしゃらにやるしかないか。

 娘夫妻のプレゼントを眺めながら、そんなことを考えた。



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2011年10月16日

青ヶ島から帰りました。


 「島の唄を訪ねて」連載は、2年目のラストスパートに入っている。
 取材で訪れていた東京都青ヶ島村から、昨夜、帰宅しました。

 島の人々の率直な親切に甘え、充実した取材ができた。その反面、島民の複雑な心理を感じることもありました。
 1島1村、人口178人の島は、それで一つの宇宙を形作っていることが、ひしひしと伝わります。

 取材とは直接関係のない話ですが、村役場で職員と立ち話をしていた時、彼女が何気なく「うちの村は、高齢化率が日本一低い自治体なんですよ」と言う。「えっ!」私は、驚いた。島は、年寄りばかりで若者が都会へ出て行くと思い込んでいた。しかし、よく話を聞くと、衝撃的な事情があった。

 高齢になり、自活が難しくなると、高齢者福祉施設が島に無いため、施設のある八丈島などの高齢者福祉施設に入所しなければならない。そのため、島を出て行くから高齢者が少ないと言うのだ。

 島に生まれ、島で育ち。地域と密接に結びつき、自然と親しみ、島の暮らしを支えて生涯を送ってきたのに、ようやくのんびり人生の豊かな最後を迎えようとする時、慣れ親しんだ故郷の島を出て行かなければならないなんて、なんてことだ。
 怒りが込み上げてきた。

 日本は豊かになったとか、福祉が充実してきているとか、言うが、まがい物の豊かさ、まがい物の福祉であることが、この青ヶ島の事例を見るだけで分かる。
 これでは、まるで、逆姥捨て山だ。





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