2011年10月28日

水俣から帰りました


 水俣の取材から帰りました。
 時間が取れた時に、自分の都合だけで水俣を訪ね、取材をさせていただける患者さんたちの撮影をしている。訪ねれば必ず収穫がある。風景も良かった。明神岬の風景は、79年に初めて水俣を訪ねた時から好きだった。いつ行っても、水俣の原風景を感じさせてくれる所だ。

 事務所に帰ったら、作業机の上に米袋。切手が直に貼り付けてある。以前、取材でお世話になった方から届いた新米だ。ありがたい。
 私の方がお世話になっておきながら、何のお礼もしていないのに、ご厚意に甘えるばかりだ。

米を切手で .jpg

 
 予定していた撮影が、延期になった。
 外は雨。
 ゆっくりとした時間が過ぎていく。



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2011年10月23日

お得です。


 今、世間には「お得です」が、溢れている。
 「こちらの商品がお得になっています」
 「この企画は、これまで以上にお得なプランです」

 買い物に行く、事務所へかかる営業の電話、CMのキャッチコピー。
 どこでも誰でもが、「こちらがお得です」と、さも特別な情報をあなただけにお伝えします、と言うような口調で繰り返す。

 えーい!!!うるさい!!!

 俺は、損得で生きているんじゃねぇ。
 どっちが得であろう損であろうと、俺には関係ない。
 ほっといてくれ。

 少し前のことだが、私の写真をお世話になった方にプレゼントすることになったので、額を見つけに画材屋へ行った。
 少し大きめのプリントを持参して、写真を見せながら「この写真に合う額が欲しいのですが……」
 若い店員さん、しばらく写真を見て、店の奥から数枚の額を持って来てくれた。しかし、どうみても私の写真に合う色や縁の柄ではない。私が納得しない表情をしていると、しきりに店員さんが薦める。
 「こちらの額がお安いですよ」
 「こちらの額は、特価になっています」
 私が浮かない表情をしているのを見て、店員さんは、奥からさらに数枚の額を持って来た。
 「こちらの方がお得になっています」
 「こちらは、在庫が一枚限りとなっていますので、さらにお得になります」

 その間、黙って店員さんの話を聞いていた私は、堪忍袋の緒が切れた。
 「うるさい! あんた俺をなめてんのか! 俺がいつ安い額をくれ、と言ったか。わざわざ写真を持って来て、この写真に合う額を見つけてくれと言っただろう。あんた額屋さんの店員だろうが。この写真には、この色の縁が合うと思いますとか、縁の幅はこれ位が良いのではないでしょうか、この額縁の材質は何で出来ています、というような提案はないのか。これが安いですよ、これがお得ですよ、ばっかり言いやがって。客を馬鹿にするのもいいかげんにしろ」

 画材屋の店員さんは、言ってみれば専門職だ。
 それが、この無様さ。
 この時から、「お得です」と言う言葉に、強く拒否反応を起こすようになったようだ。

 日曜日の朝、遅い朝食をとり、何気なくテレビを見ていると、CMで大声で繰り返す「お得です」に腹が立って、そのままの気分で事務所に出てきたため、今日仕上げなければならない原稿を書く気分になれず、ついブログで怒ってしまった。

 あなたは、損得で人生を送っていますか。
 「お得です」を売り物にするようなメーカーの商品は買わないでほしい。
 
 寄って集って「お得、お得」と、叫びやがって、
 えーい!!!うるさい!!!俺の人生をなめんじゃねぇ。

 静かでゆったりとした時間が流れるはずの日曜日。
 テレビごときに翻弄されて、自分で自分の心をかき乱してしまった。



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2011年10月22日

64歳


 今日、64歳の誕生日を迎えた。
 土曜日なので、今朝は暢気に朝風呂に入り、時間を掛けて新聞を読んでいると、娘夫妻からのプレゼントが宅配便で届いた。

 子どもたちが幼かった頃、私は食べていくこと自体に切羽詰まっていて、世間の親のような子どもとの付き合いは、まったくしてこなかった。遊園地や動物園に連れて行ったことは一度もない。山登りや海水浴へ行ったことも一度もない。ただ、自分の写真のことだけを考えていた。そのことを子どもたちから責められたことはないが、今、切なく申し訳ない気持ちで、子どもたちの幼い頃の顔を思い出す。

 なのに、子どもたちは、こんな親でも、思っていてくれることがしみじみと伝わってくる。
 今からでも、40に手が届く年齢になった子どもたちを抱きしめてやりたいが、なかなかそれも叶わない。
 「お父さん、気が触れたのじゃないの」と、思われるのが関の山だ。

hp 64歳 誕生日プレゼント .jpg





 ありがとう。



hp 64歳プレゼント .jpg

 50歳の誕生日に、65歳が定年と定めて仕事の計画を作った。
 残すところ1年間。全然だめ。
 まだまだ、計画して残っている仕事が、山とある。
 定年なんて決めないで、がむしゃらにやるしかないか。

 娘夫妻のプレゼントを眺めながら、そんなことを考えた。



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2011年10月16日

青ヶ島から帰りました。


 「島の唄を訪ねて」連載は、2年目のラストスパートに入っている。
 取材で訪れていた東京都青ヶ島村から、昨夜、帰宅しました。

 島の人々の率直な親切に甘え、充実した取材ができた。その反面、島民の複雑な心理を感じることもありました。
 1島1村、人口178人の島は、それで一つの宇宙を形作っていることが、ひしひしと伝わります。

 取材とは直接関係のない話ですが、村役場で職員と立ち話をしていた時、彼女が何気なく「うちの村は、高齢化率が日本一低い自治体なんですよ」と言う。「えっ!」私は、驚いた。島は、年寄りばかりで若者が都会へ出て行くと思い込んでいた。しかし、よく話を聞くと、衝撃的な事情があった。

 高齢になり、自活が難しくなると、高齢者福祉施設が島に無いため、施設のある八丈島などの高齢者福祉施設に入所しなければならない。そのため、島を出て行くから高齢者が少ないと言うのだ。

 島に生まれ、島で育ち。地域と密接に結びつき、自然と親しみ、島の暮らしを支えて生涯を送ってきたのに、ようやくのんびり人生の豊かな最後を迎えようとする時、慣れ親しんだ故郷の島を出て行かなければならないなんて、なんてことだ。
 怒りが込み上げてきた。

 日本は豊かになったとか、福祉が充実してきているとか、言うが、まがい物の豊かさ、まがい物の福祉であることが、この青ヶ島の事例を見るだけで分かる。
 これでは、まるで、逆姥捨て山だ。





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2011年10月07日

アボカド君の生い立ち(4)


 (少し間が空いてしまいましたが、9月10日からの続き)

 それからの2年間は、アボガド君も波乱の少ない穏やかな時間を過ごしたことと思う。彼のけなげさに感動したカミさんは、水やりを怠らなかったし、生ゴミなどを肥料にするコンポストを彼の近くに設置するなど、何かと面倒を見るようになったからだ。

 愛情を掛け、面倒を見るようになると、彼の成長は早かった。雑多な植物がひしめく我が家の庭で、めきめきと頭角を現し、すぐに身長1メートルほどになった。そうなると、可愛がる方も、ますます熱が入るというものだ。もちろん、水を与え、栄養を付けさせ、成長を助けてやれば、いずれ彼の子孫を実らせることだろうというカミさんの下心があったことは否めないが、そんな下心を知ってか知らずか、有り難いことにアボガド君は、すくすくと育ってくれた。

 安泰の時期というものは、そう長くは続かない。いつしか、カミさんはアボガド君の親である自覚も芽生え、一所懸命彼の世話をしていたが、我が家に急変が起こってしまったのだ。私の悪いところでもあるのだが、安泰を好まない性癖がある。何不自由ない暮らしが続くと思うと、その殻を壊して、新天地へ飛び出していきたくなる衝動に駆られてしまう。この時もそうだった。フリーの写真家が庭付き4LDKのアパートに安穏と暮らしていて良いのかと、疑問が頭をもたげてしまうと、もう後には戻れない。矢も楯もたまらず、市街地の繁華街近くに小さなアパートを探した。しかし、小さなアパートでは、これまで撮影してきたフイルムの保管はできないし、対外的な事務所機能が果たせなくなる。ここは一つ、事務所を独立して開設するしかない。同じ事務所を開設するなら市街地の真ん中にしようと考えた。

 ここを深入りすると話が横道に逸れてしまいそうなので、アボガド君の話に戻ろう。

(アボガド君の生い立ちは、続きます)



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2011年09月25日

水俣から帰りました。


 計画をして約3年、水俣の取材をようやく始めた。
 今回は、わずか3日間だったが、挨拶回りで終わった。
 秋晴れの清々しい空の下に広がる不知火海。
 改めて、水俣の風土が持つ豊かさを見直した。
 なんでもない風景が美しい。

写真は、水俣病の患者さんが多発した茂道漁港の入り江付近。
向こうに見えるのは、天草諸島。
hp 水俣 1 .jpg


 新しい水俣の取材は、いつまで続くのか……。



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2011年09月18日

駆け足の上海 写真一挙29枚掲載


 わずか2泊3日だったが、私が所属している日本写真家ユニオンの事業拡張のために、上海を訪ねた。
 早朝と仕事を終えてから日暮れまで、上海の街を歩いた。新旧のコントラストがはっきりした街で、人々のエネルギーに溢れていた。生活は以前のまま、近代化される地域は急速に都市化されている。勤め人の平均的月給は、日本円に換算すると4、5万円らしいが、上海の街を蛇行して流れる黃浦江の岸辺に新しく建築されたマンションは1平方メートル200万円もするという。このアンバランスをいつまで保つことができるのか。中国は、すでにバブル経済に突入しているように思えた。

hp上海 1 .jpg
空港から市街地へ向かう高速道路。タクシーの運転手が、助手席にいる通訳をしてくれた何(か)さんへ何やら大声で話しかけている。後で、何を話していたのかを聞くと、昔の暮らしが良かったというようなことだった。すでに、人々は、経済格差の矛盾を肌で感じているのだ。

hp上海 18 .jpg
街中をタクシーの窓から。
手前の古い住宅は壊され、後方に新しい公営住宅らしき建物が建築中だ。

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早朝、中心市街地を歩くと、新旧の建物が混在する。

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黃浦江の対岸は、新しく開発された商業地区。

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黃浦江の堤防は、公園として整備され上海市民の憩いの場となっている。
独り剣舞の稽古に勤しむ男性。

hp上海 14 .jpg
太極拳や中国的健康舞踊などのグループがあちこちで練習している。
後方の金融機関の建物には中国国旗・五星紅旗が翻っていた。

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黃浦江の岸辺で、散歩の休憩をする二人。

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たこ揚げが盛んに行われていた。

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散歩の途中の男性が、たこを揚げている男に話しかける。
たこを揚げている男は、自慢そうだ。

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金融機関が並ぶ高級ビルの一角に、外国資本のファッションメーカーが入っている。

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金融機関のビルが、黃浦江の岸辺の一等地に建ち並ぶ。

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一つ角を曲がると、古い上海の匂いがする。

hp上海 3 .jpg
夜勤明けの守衛さんが、道路でうとうとしていた。
そっと近づくと、気付いて振り向いた。

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孫を乳母車に乗せて散歩している男性に出会った。
生活圏がすぐ近くにあるのだ。

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さらに裏道を進むと、路地の入口が現れる。
表通りから一歩入ると、生活の場で、歯磨きしている男性と目が合った。

hp上海 31 .jpg
中国では、朝食は買って食べるようだ。
近所の主婦らしき女性が、朝食のお粥やご飯やパンを売っている店に集まっている。

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生活が建物の外側にまで染みだしたような古いアパート。
居心地が良さそうだが、いずれ取り壊されるのだろう。

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近くの路地では、洗濯屋がアイロン掛けに勤しんでいた。
彼女の後で、夫らしい男性が横になっている。

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昔から、このように家壁いっぱいに品物を吊して商売をしていたのだろう。
パンツなどの洗濯物は、売り物ではないのだろうが……。

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何やら騒々しいので、近づいてみると、路上で店を出していたらしいテーブルやイスを数人の警察官が押収していた。どうも違法の店を出していたようだ。抗議する男性を警察官が高飛車に怒鳴りつけていた。

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みるみる近所の野次馬が集まってきた。上半身裸の男が普通に居るのは上海らしい。

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昔ながらのリヤカーで雑貨を売る行商人。

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路地を曲がると市場だった。午前8時ごろだが、買い物客で賑わっている。

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朝食用に目の前で包んで蒸している餃子。形がきれいなのでアップで撮影。

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八百屋の店先。どの品物も新鮮だ。食の国の面目躍如。

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魚屋の店先。生きているカニが逃げ出さないように店の人が押さえている。

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八百屋の店先で。中国では、買い物をするのに男女の差は無さそうだ。

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果物と花と猫。中国人は、百合の花が好きだ。
百合という字が縁起が良いのだそうだ。

hp上海 38 .jpg
市場には露天の骨董品屋もあった。さすがにここは男性ばかり。毛沢東人気は健在だ。

 駆け足の上海。古い中国と新しい中国が交差する街で見たのは、経済発展に期待する顔と置いて行かれる不安の顔。しかし、日常は、何事もないような顔をして古い生活習慣が続けられている。黃浦江堤防公園で体操をする年寄りや朝の買い物をする年寄りが、元気そうで活き活きしていたのは嬉しい。今回、上海で出会った人々は、皆、明るく活力がありフレンドリーに思えた。良い旅だった。


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2011年09月10日

アボガドの生い立ち(3)


 (前回からの続き)
 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。

 宮崎市内の古い町並みが残る城ヶ崎のアパートに住んでいた時である。城ヶ崎のアパートには、狭いながらも庭があった。わずか2坪ほどの庭には、様々な植物が植えられていた。中でも目立ったのはビワである。このビワは、カミさんが実を食べた後で「植えてみよう」と、気軽に庭の南の端に植えた(捨てた)種から芽が出たもので、高さはすでに3メートルを超え、夏には小ぶりだけれど実を付けるようになっていた。この他に、子どもたちが小学校に上がる前まで、5年間家族で暮らした伊豆大島を出る時、島の友人からいただいたヤブ椿の木。他に、小さいけれど深紅の花を付けるバラ。たまには、煉瓦で縁取りをしてパンジーやチューリップなどを植え、花壇のまね事のような庭になったこともあった。足下に、アシタバやツワブキなどのように、食べられる植物が蔓延っていたのは、カミさんの趣味だ。

 アボガド君は、そんな雑多な木や花が植えられた無計画の庭の片隅に、種だけが植えられた。ビワの時と同じように、種の周りの果肉は、私の朝食として食べられてしまい、丸裸になった種だけが、あまり肥沃とは言えない庭の片隅の小さな穴に埋められたのだ。それからどれほどの月日が流れただろうか。家族の誰もが、アボガド君の存在を忘れてしまっていた時、ある朝、庭で水やりをしていたカミさんが素っ頓狂な声を上げた。「ね、ね、この新芽は何だろうね」。地表からわずか10センチほどの細い茎の先から、左右に広がる若葉色の小さな双葉は、表面に薄い産毛を生やし、やや細長い。思い付くのは、アボガド君。

 彼のけなげさに、家族の誰もが感動したのは言うまでもない。丸裸同然で放り出されるように庭に埋め込まれたアボガド君。何の援助を求めることなく、たった独りで努力に努力を重ね、人生の芽を出した。もちろん、私は、アボガド君のご両親の出身地を知らない。南米なのか、アフリカなのか、東南アジアなのか。仲間と一緒に船に揺られて、車に乗せられ、スーパーの店頭に並べられ、我が家にやって来た。その間、幾多の人の手に触れられながら、よくぞ我が家まで辿り着いてくれたものだ。そして、たった独りで、新しい人生の芽を出した。



 (アボガド君の物語は、さらに続きます)



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2011年09月07日

アボガドの生い立ち(2)


 我が家の(と言っても、現在アボガド君の住んでいる事務所のことですが)天井は、床から3メートル12センチ。決して低くはない天井だが、我が家のアボガドは、身長190センチ。床から植木鉢の地表までが、39センチ。したがって、彼の頭の頂上から天井までの距離は83センチとなっている。ぐんぐんと上へ伸びている時には、幹から直に葉っぱが出ていたのだが、彼の一番上の新芽から天井までの間隔が1メートルを切ったあたりから、上に伸びる勢いが弱まり、細い枝が横に伸び始めた。現在、6本の枝が伸びていて、それはそれなりにバランスを保っているのだが、地表から数えて3番目の枝、高さにして118センチの所から出ている枝が、少々横に伸びすぎている。

 この枝は、幹から北西の方向に55センチ伸びて、先端が少し上へ曲がって伸びている。この枝に付いている葉は、全部で18枚。もちろん大小の葉が入り混じっての話だ。一番大きな葉は、幅14センチ、長さ35センチもあるため、重量がそれなりにある。したがって、幹の直径がわずか16ミリしかないので、この枝の重さに耐えられず、体全体が枝の重量でしんなりと傾いてしまうのだ。

 私に、アボガドの自由を拘束するつもりは毛頭ないけれど、傾いて苦しそうにしている彼を見るに見かねて、枝の反対側から紐で補強をしてやっているというのが実情です。植物愛護協会の皆さまには、なかなかご理解をいただけないかも知れませんが、偽りのない現実です。その証拠と言えば、言い訳がましいのですが、彼を最初に紐で繋いだ時には、先にも書きましたけれど、北側にある本棚の4段目にピンで繋いでいました。しかし、これでは彼は、自由に体の向きを変えることができないことに気付き、急遽、彼自身が身を寄せている植木鉢の縁と繋ぐことで、何とか自由を確保してやることができている訳です。

 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。


 (後日に続く)



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2011年09月06日

アボガドの生い立ち(1)


 我が家のアボガドは紐に繋がれている。自由を拘束されて、少々可哀想な気がしないでもないが、この紐は本人のためなので、ここは辛くても甘えさせてはならない。それが本当の愛情というものだろう。

 彼とは、相当長い付き合いになる。彼と決めつけて良いのかどうか、迷うが、我が家のアボガドに女の性を感じたことはないので、彼と呼ぶことにする。名前は、まだ無い。女の性を感じたことがない分だけ、普段は無視していても、気やすく付き合えるというものだ。

 彼は、相当長身である。直径43センチの植木鉢に居を構えているが、その地表から幹の先まで190センチ。地表から10センチの所の幹の直径は、16ミリ。一見すると、彼の生き方は孤高のように見える。しかし、彼には彼の友だちが居る。直径43センチの地表には、フキの葉が大小合わせて5本、クローバーが6本、それに柊(ヒイラギ)の葉のような周辺にギザギザのある小さな樹が2本。この柊のような樹は、根元から二股に分かれているので、小さいながらも葉が茂って存在感がある。ちょっと見でも、これだけの仲間に囲まれて日々の暮らしがある。この他に、友人たちが居るであろうことは想像できるが、私は紹介することができない。

 地表は、よく耕されていて酸素の通りは良さそうだ。適度に乾いていて、居住空間としては、まずまずと見受けられる。

 さて、彼の宇宙とも言うべき直径43センチの植木鉢の縁にクリップが止めてあり、そこからビニールの紐が伸び、地表から約90センチの幹にしっかりと結ばれている。この紐が、彼の自由を奪っている紐なのだ。しばらく前まで、この紐は、1メートルほど離れた本棚の4段目にピンで止められていたのだが、窓から差し込む太陽との関係で、少しでも彼の向きが自由な植木鉢の縁に近ごろ変更になった。では、なぜ、彼の自由を奪うようなことをしなければならないのか、と不思議に思われる方がおられるだろうから、少し説明を加えたい。


(後日に続く)



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