2011年10月07日

アボカド君の生い立ち(4)


 (少し間が空いてしまいましたが、9月10日からの続き)

 それからの2年間は、アボガド君も波乱の少ない穏やかな時間を過ごしたことと思う。彼のけなげさに感動したカミさんは、水やりを怠らなかったし、生ゴミなどを肥料にするコンポストを彼の近くに設置するなど、何かと面倒を見るようになったからだ。

 愛情を掛け、面倒を見るようになると、彼の成長は早かった。雑多な植物がひしめく我が家の庭で、めきめきと頭角を現し、すぐに身長1メートルほどになった。そうなると、可愛がる方も、ますます熱が入るというものだ。もちろん、水を与え、栄養を付けさせ、成長を助けてやれば、いずれ彼の子孫を実らせることだろうというカミさんの下心があったことは否めないが、そんな下心を知ってか知らずか、有り難いことにアボガド君は、すくすくと育ってくれた。

 安泰の時期というものは、そう長くは続かない。いつしか、カミさんはアボガド君の親である自覚も芽生え、一所懸命彼の世話をしていたが、我が家に急変が起こってしまったのだ。私の悪いところでもあるのだが、安泰を好まない性癖がある。何不自由ない暮らしが続くと思うと、その殻を壊して、新天地へ飛び出していきたくなる衝動に駆られてしまう。この時もそうだった。フリーの写真家が庭付き4LDKのアパートに安穏と暮らしていて良いのかと、疑問が頭をもたげてしまうと、もう後には戻れない。矢も楯もたまらず、市街地の繁華街近くに小さなアパートを探した。しかし、小さなアパートでは、これまで撮影してきたフイルムの保管はできないし、対外的な事務所機能が果たせなくなる。ここは一つ、事務所を独立して開設するしかない。同じ事務所を開設するなら市街地の真ん中にしようと考えた。

 ここを深入りすると話が横道に逸れてしまいそうなので、アボガド君の話に戻ろう。

(アボガド君の生い立ちは、続きます)



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2011年09月25日

水俣から帰りました。


 計画をして約3年、水俣の取材をようやく始めた。
 今回は、わずか3日間だったが、挨拶回りで終わった。
 秋晴れの清々しい空の下に広がる不知火海。
 改めて、水俣の風土が持つ豊かさを見直した。
 なんでもない風景が美しい。

写真は、水俣病の患者さんが多発した茂道漁港の入り江付近。
向こうに見えるのは、天草諸島。
hp 水俣 1 .jpg


 新しい水俣の取材は、いつまで続くのか……。



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2011年09月18日

駆け足の上海 写真一挙29枚掲載


 わずか2泊3日だったが、私が所属している日本写真家ユニオンの事業拡張のために、上海を訪ねた。
 早朝と仕事を終えてから日暮れまで、上海の街を歩いた。新旧のコントラストがはっきりした街で、人々のエネルギーに溢れていた。生活は以前のまま、近代化される地域は急速に都市化されている。勤め人の平均的月給は、日本円に換算すると4、5万円らしいが、上海の街を蛇行して流れる黃浦江の岸辺に新しく建築されたマンションは1平方メートル200万円もするという。このアンバランスをいつまで保つことができるのか。中国は、すでにバブル経済に突入しているように思えた。

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空港から市街地へ向かう高速道路。タクシーの運転手が、助手席にいる通訳をしてくれた何(か)さんへ何やら大声で話しかけている。後で、何を話していたのかを聞くと、昔の暮らしが良かったというようなことだった。すでに、人々は、経済格差の矛盾を肌で感じているのだ。

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街中をタクシーの窓から。
手前の古い住宅は壊され、後方に新しい公営住宅らしき建物が建築中だ。

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早朝、中心市街地を歩くと、新旧の建物が混在する。

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黃浦江の対岸は、新しく開発された商業地区。

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黃浦江の堤防は、公園として整備され上海市民の憩いの場となっている。
独り剣舞の稽古に勤しむ男性。

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太極拳や中国的健康舞踊などのグループがあちこちで練習している。
後方の金融機関の建物には中国国旗・五星紅旗が翻っていた。

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黃浦江の岸辺で、散歩の休憩をする二人。

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たこ揚げが盛んに行われていた。

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散歩の途中の男性が、たこを揚げている男に話しかける。
たこを揚げている男は、自慢そうだ。

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金融機関が並ぶ高級ビルの一角に、外国資本のファッションメーカーが入っている。

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金融機関のビルが、黃浦江の岸辺の一等地に建ち並ぶ。

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一つ角を曲がると、古い上海の匂いがする。

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夜勤明けの守衛さんが、道路でうとうとしていた。
そっと近づくと、気付いて振り向いた。

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孫を乳母車に乗せて散歩している男性に出会った。
生活圏がすぐ近くにあるのだ。

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さらに裏道を進むと、路地の入口が現れる。
表通りから一歩入ると、生活の場で、歯磨きしている男性と目が合った。

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中国では、朝食は買って食べるようだ。
近所の主婦らしき女性が、朝食のお粥やご飯やパンを売っている店に集まっている。

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生活が建物の外側にまで染みだしたような古いアパート。
居心地が良さそうだが、いずれ取り壊されるのだろう。

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近くの路地では、洗濯屋がアイロン掛けに勤しんでいた。
彼女の後で、夫らしい男性が横になっている。

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昔から、このように家壁いっぱいに品物を吊して商売をしていたのだろう。
パンツなどの洗濯物は、売り物ではないのだろうが……。

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何やら騒々しいので、近づいてみると、路上で店を出していたらしいテーブルやイスを数人の警察官が押収していた。どうも違法の店を出していたようだ。抗議する男性を警察官が高飛車に怒鳴りつけていた。

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みるみる近所の野次馬が集まってきた。上半身裸の男が普通に居るのは上海らしい。

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昔ながらのリヤカーで雑貨を売る行商人。

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路地を曲がると市場だった。午前8時ごろだが、買い物客で賑わっている。

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朝食用に目の前で包んで蒸している餃子。形がきれいなのでアップで撮影。

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八百屋の店先。どの品物も新鮮だ。食の国の面目躍如。

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魚屋の店先。生きているカニが逃げ出さないように店の人が押さえている。

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八百屋の店先で。中国では、買い物をするのに男女の差は無さそうだ。

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果物と花と猫。中国人は、百合の花が好きだ。
百合という字が縁起が良いのだそうだ。

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市場には露天の骨董品屋もあった。さすがにここは男性ばかり。毛沢東人気は健在だ。

 駆け足の上海。古い中国と新しい中国が交差する街で見たのは、経済発展に期待する顔と置いて行かれる不安の顔。しかし、日常は、何事もないような顔をして古い生活習慣が続けられている。黃浦江堤防公園で体操をする年寄りや朝の買い物をする年寄りが、元気そうで活き活きしていたのは嬉しい。今回、上海で出会った人々は、皆、明るく活力がありフレンドリーに思えた。良い旅だった。


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2011年09月10日

アボガドの生い立ち(3)


 (前回からの続き)
 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。

 宮崎市内の古い町並みが残る城ヶ崎のアパートに住んでいた時である。城ヶ崎のアパートには、狭いながらも庭があった。わずか2坪ほどの庭には、様々な植物が植えられていた。中でも目立ったのはビワである。このビワは、カミさんが実を食べた後で「植えてみよう」と、気軽に庭の南の端に植えた(捨てた)種から芽が出たもので、高さはすでに3メートルを超え、夏には小ぶりだけれど実を付けるようになっていた。この他に、子どもたちが小学校に上がる前まで、5年間家族で暮らした伊豆大島を出る時、島の友人からいただいたヤブ椿の木。他に、小さいけれど深紅の花を付けるバラ。たまには、煉瓦で縁取りをしてパンジーやチューリップなどを植え、花壇のまね事のような庭になったこともあった。足下に、アシタバやツワブキなどのように、食べられる植物が蔓延っていたのは、カミさんの趣味だ。

 アボガド君は、そんな雑多な木や花が植えられた無計画の庭の片隅に、種だけが植えられた。ビワの時と同じように、種の周りの果肉は、私の朝食として食べられてしまい、丸裸になった種だけが、あまり肥沃とは言えない庭の片隅の小さな穴に埋められたのだ。それからどれほどの月日が流れただろうか。家族の誰もが、アボガド君の存在を忘れてしまっていた時、ある朝、庭で水やりをしていたカミさんが素っ頓狂な声を上げた。「ね、ね、この新芽は何だろうね」。地表からわずか10センチほどの細い茎の先から、左右に広がる若葉色の小さな双葉は、表面に薄い産毛を生やし、やや細長い。思い付くのは、アボガド君。

 彼のけなげさに、家族の誰もが感動したのは言うまでもない。丸裸同然で放り出されるように庭に埋め込まれたアボガド君。何の援助を求めることなく、たった独りで努力に努力を重ね、人生の芽を出した。もちろん、私は、アボガド君のご両親の出身地を知らない。南米なのか、アフリカなのか、東南アジアなのか。仲間と一緒に船に揺られて、車に乗せられ、スーパーの店頭に並べられ、我が家にやって来た。その間、幾多の人の手に触れられながら、よくぞ我が家まで辿り着いてくれたものだ。そして、たった独りで、新しい人生の芽を出した。



 (アボガド君の物語は、さらに続きます)



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2011年09月07日

アボガドの生い立ち(2)


 我が家の(と言っても、現在アボガド君の住んでいる事務所のことですが)天井は、床から3メートル12センチ。決して低くはない天井だが、我が家のアボガドは、身長190センチ。床から植木鉢の地表までが、39センチ。したがって、彼の頭の頂上から天井までの距離は83センチとなっている。ぐんぐんと上へ伸びている時には、幹から直に葉っぱが出ていたのだが、彼の一番上の新芽から天井までの間隔が1メートルを切ったあたりから、上に伸びる勢いが弱まり、細い枝が横に伸び始めた。現在、6本の枝が伸びていて、それはそれなりにバランスを保っているのだが、地表から数えて3番目の枝、高さにして118センチの所から出ている枝が、少々横に伸びすぎている。

 この枝は、幹から北西の方向に55センチ伸びて、先端が少し上へ曲がって伸びている。この枝に付いている葉は、全部で18枚。もちろん大小の葉が入り混じっての話だ。一番大きな葉は、幅14センチ、長さ35センチもあるため、重量がそれなりにある。したがって、幹の直径がわずか16ミリしかないので、この枝の重さに耐えられず、体全体が枝の重量でしんなりと傾いてしまうのだ。

 私に、アボガドの自由を拘束するつもりは毛頭ないけれど、傾いて苦しそうにしている彼を見るに見かねて、枝の反対側から紐で補強をしてやっているというのが実情です。植物愛護協会の皆さまには、なかなかご理解をいただけないかも知れませんが、偽りのない現実です。その証拠と言えば、言い訳がましいのですが、彼を最初に紐で繋いだ時には、先にも書きましたけれど、北側にある本棚の4段目にピンで繋いでいました。しかし、これでは彼は、自由に体の向きを変えることができないことに気付き、急遽、彼自身が身を寄せている植木鉢の縁と繋ぐことで、何とか自由を確保してやることができている訳です。

 さて、アボガド君が我が家にやってきたのは、8年ほど前のことだ。


 (後日に続く)



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2011年09月06日

アボガドの生い立ち(1)


 我が家のアボガドは紐に繋がれている。自由を拘束されて、少々可哀想な気がしないでもないが、この紐は本人のためなので、ここは辛くても甘えさせてはならない。それが本当の愛情というものだろう。

 彼とは、相当長い付き合いになる。彼と決めつけて良いのかどうか、迷うが、我が家のアボガドに女の性を感じたことはないので、彼と呼ぶことにする。名前は、まだ無い。女の性を感じたことがない分だけ、普段は無視していても、気やすく付き合えるというものだ。

 彼は、相当長身である。直径43センチの植木鉢に居を構えているが、その地表から幹の先まで190センチ。地表から10センチの所の幹の直径は、16ミリ。一見すると、彼の生き方は孤高のように見える。しかし、彼には彼の友だちが居る。直径43センチの地表には、フキの葉が大小合わせて5本、クローバーが6本、それに柊(ヒイラギ)の葉のような周辺にギザギザのある小さな樹が2本。この柊のような樹は、根元から二股に分かれているので、小さいながらも葉が茂って存在感がある。ちょっと見でも、これだけの仲間に囲まれて日々の暮らしがある。この他に、友人たちが居るであろうことは想像できるが、私は紹介することができない。

 地表は、よく耕されていて酸素の通りは良さそうだ。適度に乾いていて、居住空間としては、まずまずと見受けられる。

 さて、彼の宇宙とも言うべき直径43センチの植木鉢の縁にクリップが止めてあり、そこからビニールの紐が伸び、地表から約90センチの幹にしっかりと結ばれている。この紐が、彼の自由を奪っている紐なのだ。しばらく前まで、この紐は、1メートルほど離れた本棚の4段目にピンで止められていたのだが、窓から差し込む太陽との関係で、少しでも彼の向きが自由な植木鉢の縁に近ごろ変更になった。では、なぜ、彼の自由を奪うようなことをしなければならないのか、と不思議に思われる方がおられるだろうから、少し説明を加えたい。


(後日に続く)



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2011年08月29日

サボテンの花 2


 今朝、念のためにと思って、ガンセキチュウサボテンの花を確認するために、県庁前へ行った。
 花は、すでに3個を残すだけだった。

 県庁前が、いつもと異なる雰囲気。テレビのクルーがいくつか。若い女性たちが数人ずつたむろしている。警備員に尋ねると、「前の知事が来ているんですよ」。
 テレビ局はまだしも、若い女性たちが、どのようにして、そんな情報を得るのか、不思議だ。


 今夜7時から、宮崎市のJA AZMホールで、広瀬隆さんの講演会があります。
 「いったい何が起き、何がおころうとしていいるのか!!」 入場料1000円
 主催:宮崎の自然と未来を守る会 電話 090-4346-2923

 原発の危険性を訴え続け、「東京に原発を」の著書で知られる広瀬隆さんの話は、若干センセーショナルなところはありますが、語られる内容は、事実に基づいて説得力があります。「原発の何が、危険なのか」。今こそ、イメージではなく、積み重ねられた情報を得て、自らが考える手がかりにしてほしいと思います。

 私は、会場で、8月15日に新刊発売されたばかりの 樋口健二写真集「原発崩壊」2800円(税別)を販売しています。
 1973年から2011年の原発崩壊まで、取材し続けた原発労働者の実態を伝えます。



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2011年08月28日

サボテンの花


 毎朝、県庁前の楠並木を歩いて事務所へ通勤する。
 先日、何気なく県庁入り口の植え込みを見ると、ガンセキチュウサボテンに赤い点々が見える。何だろうと、近寄ってみると、花だ。
 無骨なガンセキチュウサボテンにピンクっぽいオレンジ色に包まれた白い芯。
 柔らかそうな花。
 大げさだが、little感激!
 最近は、カメラを持ち歩いていないので、この時も携帯電話のカメラで撮影。

サボテンの花 1 .jpg

 まだ、数日間は咲いていると思います。どうぞ、見に行ってやって下さい。





 最近、真面目と誠実について、考え悩んでいる。
 「座右の銘は」と聞かれたら、「誠実」と答えるだろう。しかし、真面目に生きようと思っている訳ではない。ただ、誠実であろうと思っているだけ。最近、再び、気になり始めたのだが、真面目が世の中の前面に出すぎていないか。私のようなヤクザ稼業だと、息苦しいと思うことが度々ある。ここで「ヤクザ稼業」と書いたことに、すでに違和感を持つ人も居るだろう。「ヤクザ」な人が良いとは思わないが、「ヤクザ」な人を嫌いではない。

 今日のブログは、傷を負わないうちに、あまり深入りしないで止めようと思うが、結構、このブログというプライベートメディアも「真面目傾き社会」に貢献しているのかも知れない。危ないなあ。
 誰が読んでくれるか分からない日記に、本音が書ける訳もなく。
 
 考え悩んだ日曜日だった。たわいないと言えば、たわいない。
 今日は、良く晴れていたが、午後一度、スコールのような激しい雨が降った。

 実は、今、事務所は倉庫のような状態で、辛うじて仕事机だけが使える。
 惨憺たる状態。

hp 倉庫のような事務所 .jpg

 こんな状態ですが、床に座ってお茶は大丈夫。
 どうぞ。
 昼寝をするスペースが無くなったのに困っている。
 どうしたものか。



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2011年08月16日


 まだ、お盆休みのボケが頭の片隅に残っていて、朝のパワーが出ない。
 いつもより遅めの朝食(内容は、いつもと変わりないが、最近は、イタリア直送の生ハムとクリームチーズが加わっている)をとっていて、ふっと窓の外を見ると、西の空の低い位置に虹。

hp 虹1 110816 .jpg

 パワーの出ない朝に、一喝。
 携帯電話で撮影した写真ですが、皆さんへお裾分け。

 虹のパワーをもらって、先日、印画紙の枚数が足らなくて延び延びになっていた暗室に、今から籠もります。




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2011年08月14日

「ダンゴムシに心はあるのか」


 「ダンゴムシに心はあるのか」森山徹著を読んだ。

 はっきり言って、回りくどい。「ある」という結論へ導くための実験を手を変え品を変え行うのだが、著者は、それを「待つ科学」という。予想外の状況を実験対象のダンゴムシに与えて、その結果、意外な一面が引き出された時に、「通常では行動を抑制していた内なる力」が働く。すなわち、それが「心」なのだと言う。

 それを「心」と言うならば、言っても良いが、著者は、石にも「心」があると言う。石が劣化していく速度は、石によって調整されている。したがって、石にも「心」があると言うのだ。これは、納得できない。「石に神が宿る」というならば、それは八百万の神の国に住む一人として認めても良いが、「石に心がある」と言われると、素直にはうなずけない。一冊の本にするために、色々と書かなければならなかったのだろうが、核心だけを書いてもらった方が腑に落ちる。

 著者は言う。「待つ科学」は相手を傷つけることは決してしない。それには「付き合い」が重要だと。つまり、「働きかけて、待つ」ことで、「心による、余計な行動の抑制=潜在化」が明らかになると、「心」を明らかにするには「待つ」ことが大切であると強調しているのだ。

 はて、これは「写真」に通じるのではないか。
 ということは、「写真」は「心」を写し取っているということなのだろうか。




 
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